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下記は、引き渡し冤罪被害者 山崎淑子さんがいったいどのような理由で米国政府から日本政府に身柄引き渡し要求がなされ、無実でありながら652日もの長期にわたり収監されるようになったかなど、事件の経緯から法的・制度的な問題点に至るまで、申立人である山崎淑子さんの代理人弁護士の方がまとめられた内容になります。少し長い文章となりますが、論点が非常に明確に示されておりますので、そのままの文書を掲載させて頂きます。どうか、ご一読を頂きたく宜しくお願い致します。

『引き渡し冤罪事件の経緯について』

申立人 山崎淑子

1、事件の概要

(1)申立人は、1960年4月2日生まれ、日本国籍を有する者である。申立人は、1987年9月、米国永住権を取得した。1988年6月、出版社アルクの米国現地法人を設立、取締役副社長兼CFOに就任し、同社のニューヨーク代表/アメリカ支局長を務めた。申立人は、逃亡犯罪人引渡審査請求事件(平成17年(て)第117号、以下「本件」という。)において、引き渡すことができる場合に該当する旨の決定により、2005年10月25日にアメリカ合衆国に引き渡された。
 しかし、申立人は、当初から容疑を一貫して強く否認していたにもかかわらず、十分な弁護を受けることができず、病身の身でアメリカ合衆国に引き渡されたのである。アメリカ合衆国では訴状の変更がなされており、適切な証拠調べを行えば、引き渡しを求めたアメリカ合衆国当局の訴状に理由がないことは明らかであった。しかし、申立人には、十分な手続き保障の下での審理の機会が保障されず、人身の自由という最も根幹的な自由が侵害されたのである。さらに、この間、屈辱的な取り扱いを受けて人権を侵害されたのである。

(2)申立人に対する人権侵害が生まれる構造として、逃亡犯罪人引渡法が人権保障の観点から極めて不十分なものであることが、申立人の人権侵害を生んだ主要な原因の一つである。

(3)したがって、申立人は、申立書記載のとおり逃亡犯罪人引渡法を人権保障の観点から適正な法律とすべき処置をとることを強く求める次第である。

2、申立人について

(1)申立人は、1960年4月2日、日本生まれ、日本国籍を有する者である。申立人は1977年、国際ロータリー交換留学生として米国フィラデルフィア郊外の高校へ留学した。帰国後の1979年4月に成蹊大学経済学部経済学科へ入学し、1981年8月に同大学を退学した。ニューヨークへ転居し、ニュースクール大学のメディア学科とパーソンズ芸術大学(スクール・オヴ・デザイン)に編入した。申立人は、1985年9月、ジャーナリスト・ビザを取得した。

(2)申立人は、1985年7月、特殊法人国際観光振興会ニューヨーク宣伝事務所に就職。ニューヨーク市内ロックフェラーセンター内にある案内所「ツーリスト・インフォメーション・センター」で広報を担当(Information Officer)し、日本の文化・観光情報をアメリカ市場に提供すると共に、コンベンション誘致のための宣伝業務に3年間携わった。1987年9月、米国永住権を取得した。
 申立人は、1988年3月から出版社アルクに雇用され、ニューヨーク市内56丁目の米国事務所にて営業を開始した。同年6月に同社の現地法人を設立登記、CFO兼取締役副社長に就任、同社のニューヨーク代表及びアメリカ支局長を務めた。
 1994年に日本に一時帰国した申立人は、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災に遭遇、最激震地の神戸市東灘区岡本の自宅で被災した。同年4月20日にニューヨークへ戻り、経済新聞社USフロントラインの記者を務め、翌1996年1月に高級百貨店バーグドルフ・グッドマン、ニューヨーク本店に就職した。
 申立人は、1998年に独立してニューヨーク市内の自宅オフィスでマーケティング・コミュニケーション・コンサルティング事業を開始した。宝飾店カルティエ、株式会社リダック、フェリッシモ米国現地法人、日本航空の機内誌編集業務、レストランいな菊やORO BLUなど高級レストランのプロデュースやプロモーション等、数社の優良企業を顧客にPR及びIRとマーケティング・コミュニケーション・コンサルティング業を営んできた。

(3)申立人は、幼少時より日本赤十字やガールスカウト、教会活動を通して慈善事業やボランティア、寄付・募金活動、障害者や高齢者施設への定期的慰問に参加してきた。また、1985年のニューヨーク移住以降もユニセフや米国赤十字、NY-東京の姉妹都市・障害者交流など多岐に渡るチャリティー(慈善活動)やファンド・レイジング(募金・寄付)に参加してきた。
 1990年以来、フリーの立場で、雑誌やコミュニティー新聞の編集業務、議員団や公益法人の米国行政視察旅行の随行通訳兼コーディネーター、また、ジェトロはじめ大手旅行代理店や金融機関、米大手法律事務所などを顧客に通訳・翻訳業務を受注していた。1998年、個人事務所Yamasaki Research Instituteをマンハッタン区アッパー・イーストサイド東70丁目の自宅内に開設した。富裕層の代理人業務を通して、1980年代から築いたオリジナルの顧客データベースは、同年までに4000名に達していた。
 また、申立人は、オペラ歌手としてニューヨークのマーキン・コンサート・ホールで2000年10月11日にプロ・デビューした。同年6月からクリスマスまでの半年間、音楽プロデューサーとしてライブ演出と若手声楽家の育成を手掛け、ソーホーにあるイタリアン・レストランORO BLUで毎週末「オペラ・ライブ」を企画・運営してきた。  

3、本件に関係する申立人の事業について

(1)申立人は、2001年8月初旬からの本格的に業務を開始したことを受けて、同年9月6日、同社の事務所として、WTC近くの225 Rector Place, 10M号室を確保。契約成立の要件である契約金を満額、シティバンクのバンク・チェック(現金払いと同等に見なされるCertified Check)で6日に全額支払いを済ませ、仮契約を交わした。ところが、契約書の原本への正式契約調印日として賃貸事務所と約束してあった同月11日に、いわゆる「911テロ事件」が発生した。現地グラウンドゼロ地域は、その後2カ月近く立ち入り禁止となり、付近は電話も不通になった。テロが起きたために、約束した本契約が出来なくなってしまったのである。加えて、支払済みの契約金(敷金、不動産手数料など)の返金請求をするために同年9月12日以降、賃貸事務所に毎日連絡するものの、留守番電話に残した伝言に一切、返答がなかった。申立人は、不安が募り、9月24日に日本から現地視察に訪れた防災ジャーナリストの渡辺実氏からインタビューを受けたレストランいな菊で、同氏に苦悩を打ち明けた。「被災者として、事業が中断され、事務所契約金の返金もなくて、困惑しきっている」旨を相談したところ、米国中小企業庁の被災者を対象とした低金利災害ローンについての説明を受ける。渡辺氏の「試しに行って、窮状を訴えてみてはどうか」の提案に従い、翌25日の夕方、たまたま被災者として取材を受けていたNHK報道取材班と共に、NY州政府が運営する災害支援センターへ出向き、1階受付にいた仕分け担当係のマリオン・マクイーン女史に、申立人が抱えている問題と窮状を伝えた。その時の模様はNHK取材班によって撮影され、3日後にニュース番組「おはよう日本」で放映された。
 この時、2001年9月25日に申立人の相談にのってくれた州政府の担当者、マリオン・マックイーン氏は当時の様子を「彼女の提出した情報と話しの内容から、彼女は被災者として受給資格があると自分は判断した。彼女は率直で、誠実な人という印象を受けたので、助けてあげたいと思った」と語っている。
 申立人は、9月11日の夜に、犠牲者と行方不明者の家族を助ける米国赤十字NY支部のボランティア登録を済ませた。同夜、写真付きID(身分証明書)が支給され、申立人は翌12日から、家族支援センターに昼夜、常駐して無償の奉仕活動を行っていた。同月17日には、日本から臨時特命を受けて家族支援センターを訪問した山口泰明外務政務次官を案内。随行通訳したり、地元ケーブルテレビのNY1局によるインタビューを取り次ぎ、報道陣に対しては取材アレンジを提供したり、またNY総領事館で報道機関向けの記者会見を開いたりするなどの活動を12日から9日間、無我夢中で行っていた。この申立人の活動の模様は、連日、国内外の各種メディアで報道され、翌2002年、活動を評価した米国赤十字から表彰を受け、感謝状が贈られた。
 申立人は、同年10月10日にNYを出発して日本へ一時帰国した。その前日の同月9日午後に、米国SBA(中小企業庁)の融資担当者から自宅に電話があり、申請書類に不備や空欄が目立ち、他に幾つもの追加資料の提出が必要であると伝えられた。そこで申立人は、「私自身が記入したわけではなく、弁護士A氏に委任状を渡した上で、手続きを一任していますので、弁護士Aと話していただけますか?」と返答したところ、その融資担当者に電話口で叱責された。担当者は、「あなたの名前がプリンシパル(債務当事者)として記入されているのですよ。百万ドルもの債務返済に全責任を負うのは、記入を委任した弁護士Aではなく、あなた自身なのですよ。これは、他人任せにできる問題ではありません!」と、申立人に厳しい口調で伝えた。申立人にとってこの話は初耳であり、そもそも百万ドルという高額融資申請の件は、弁護士A氏と一切話していなかった。申立人は、弁護士A氏に対して百万ドルという高額融資の申請を、依頼してはいなかったのである。申立人は、融資担当者に対して、そのような高額融資を自分は必要としていない旨を伝えた。そして申立人は、担当者に対して「明日にはもう、日本出張へ出発するので、手続き全てをキャンセルします。全て忘れて下さい」と、すぐに伝えて、その場で申請を辞退したのである。

5、逃亡犯罪人引渡法による申立人の身柄拘束

(1)申立人は、2005年7月28日、東京都港区白金台の自宅で入浴中に、拘引され、東京高検を経て同日中、東京拘置所に拘禁された。その際、申立人に示された拘禁状には「米連邦に対する詐欺罪、詐欺未遂罪、虚偽陳述罪、共謀罪」との記載があるだけで、それ以上の具体的な説明はなく、申立人は自宅から広尾(港区南麻布)にある会社事務所を経て、そのまま東京高検へ連行された。その際、申立人は「どこへ連れて行くのか」と、連行する法務事務官に尋ねたがその法務事務官は「霞ヶ関」としか答えなかった。そのため、申立人は事態の深刻さを十分、認識することも状況把握することもできなかった。仮にもし、「東京高検へ」とか「東京拘置所へ収監」とか「このまま米国へ引き渡される可能性あり」などといった正確な情報開示がこの時、なされていれば、申立人の反応はまったく違っていたものになっていたはずである。状況判断は、より適切なものとなり、まちがいなく高検へ到着するまでには現金を調達し、携帯電話を使って手帳にある名刺と連絡先に片端から救助を求める「緊急救済電話」をかけていた。

(2)東京高検では、川村明夫検事が拘禁状を読み上げ、申立人に対して「こうした事実があるか」と聞いた。これに対して、申立人は「そんな事実はないので、認めません」と答えた。また、この時、申立人は、子宮筋腫と子宮内膜症が重症化しているため、北里研究所病院で子宮全摘出の手術を同年8月20日に、既に予約してあり、その後3か月間の入院加療を受けることが決まっている旨説明し、「自分はそもそも逃亡者ではなく、取り引き先に対して説明責任がある事業者の立場なので、最初からまったく、逃げ隠れしていない。病院内では事実上、拘禁同然の管理下にある寝たきり状態となるわけだから、予定通りに入院・手術・加療させてほしい。どこにも逃げないので」と申し出たが、川村明夫検事により申し出を拒否されて、そのまま東京拘置所へ同日夕方に拘置された。東京拘置所に到着後の医師面談でも、のちに巡回する看護師にも話したが、一切対応されなかった。また、到着後にオリエンテ-ション等、権利の有無や施設の使用に関するルールなどの説明やガイダンスは、一切行われなかった。
 また、拘禁されるとき、常備薬である漢方薬を含む服用中の治療薬をすべて取り上げられた。刑務官からは毎朝1回だけ、手短に廊下から「願いごとがあるか」とぞんざいに聞かれたが、初期段階ではまったく聴き取れず、何を言っているのかが不明だった。申立人が収監されていた独房は、機械室に隣接していたため、雑音と振動と機械音に妨害されて、廊下にひびく音声がほとんど聞き取れない状況であった。 
 申立人は、外界から隔絶状態のまま、孤立した静寂の世界で情報から完全に遮断された日々を、2週間もの長きに渡って耐え忍んでいた。孤独と絶望の中で、茫然自失の放心状態で過ごしていた。この間、申立人は、突然拘束されたショックと、愛犬チョコの行方が知れない大パニック、加えてバルコニーで大切に育てていた栽培中のバラ園の水やりや、老いて寝たきりの病床の両親への尽きない心配など、押しつぶされそうな負担とストレスはもはや極致に達して、受けた身体的、精神的・心理的打撃もまた極限状態に達していた。詳細な拘禁理由が説明されないまま2週間が過ぎ、助けを乞う手紙を書き送りたくとも所持金もなく、拘禁された事実を公知する手段がないまま2週間近く誰一人として接見に訪れない事態に、不安と緊張とストレスは高まる一方であった。
 殊に、説明がなされず事態が呑みこめない「知的虐待」は過酷で、これによる申立人のショックの大きさは尋常ではなかった。申立人に対して、入所時のオリエンテーションが全く行われなかったために、拘置所の日常がどう運営され、どんな権利があり、何をなすべきか、どのような手続きや要求が可能かなど、全くわからない状態に放置されていた。申立人は、この間、来る日も来る日も、疑問と質問だらけなのに誰に聞くことも尋ねることもできず、解決策も見いだせないまま、発狂寸前まで追い込まれていった。
 また、申立人は、身体的には子宮筋腫と子宮内膜症による出血が続き、癒着から引き起こされる痛みとひきつりが酷い状態に悪化していった。歯痛による腫れと上顎痛も加わり、鎮痛剤をもらって飲むのがやっとだった。

(3)身柄拘束をされている申立人に対して、拘禁から10日以上経過した8月7日前後に「弁護人は国選を希望するか、私選か」を問う書面が来た。申立人は所持金がほぼゼロ状態であったため、やむなく国選弁護人を希望したところ、同月8日から10日ころまでの間に国選弁護人の堀内国宏氏が初接見に現れた。
 そして、8月16日ころ、堀内弁護士から郵送で英文の約50頁の起訴状と約150頁の添付資料と日本語訳が届き、申立人は拘禁19日目にして初めて、自分が訴えられている状況を把握した。
 結局、申立人は、拘禁からこの時点まで、詳細な拘禁理由も起訴内容も知らされない状態で、19日間も独房に放置されたままだったことになる。弁護人に初接見した数日後まで、このように起訴状が開示されず、容疑者がアクセスできない状況に置かれることは、著しく手続きの適正さを欠くものである。

(4)上記のように、申立人は、通常の逮捕の要件である「嫌疑の相当性」についての司法審査の機会もないままに身柄拘束されたのであり、かかる身柄拘束は「正当な理由」(憲法34条)の要件を欠くものであり、憲法34条に反し、申立人の人権を著しく侵害するものであった。

(5)さらに申立人は、同年9月7日、東京高裁の審理が開かれるまでの間、裁判官の面前で拘禁の理由を開示されることがなかった。すなわち、申立人は、同年7月28日の身体拘束から約40日間の長期にわたり、裁判官の面前に立つ機会を与えられなかったのである。これはれは、拘禁の理由について要求があれば、直ちに公開の法廷で示されなければならないとする憲法34条に反するものである。

6、東京高等裁判所における審問及び決定について

(1)同年9月7日、40分間の審理が1回だけ、東京高裁で開かれた。国選弁護人との打ち合わせや想定問答など、十分な事前準備が行われなかったために、申立人はやむなく、審理の冒頭で、自分自身の言葉による事情説明を試みてはみたものの、田中康郎裁判長は途中でそっぽをむいて聞いていない様子であった。そのため、弁護人が何か紙を読み上げるのだが、そこに何が書かれてあるかは後日、差し入れられるまで申立人は知らされなかった。弁護人が読み上げていたのは「補佐弁護人による意見書」であったことを、審理後に知ったのである。審理はわずか40分間程度であり、極めて不十分なものであった。例えば、本件で重要な証言である前述のSBA(米国中小企業庁)の融資担当者の証言も審理されなかった。申立人はこのような極めて不十分な審理によって、実質的に防御権を奪われたのである。

(2)まず引渡犯罪に係る行為のうち、不正な申請によって社会保障カードを詐取したとの事実については、アメリカ合衆国の検察当局により訴追されなかった事実(起訴取り下げ)を、米国へ引き渡された直後の接見で米国公選弁護人によって知らされた。このことは、逃亡犯罪人引渡請求の時点ではアメリカ合衆国における捜査が正確ではなかったことを意味すると同時に、東京高裁が事実認定を誤ったことの証左である。

(3)次にSBAに対する100万ドルの詐欺行為に関する東京高裁の認定は、前記のとおり事実に反し、事実誤認に基づく同決定により申立人はアメリカに引き渡されるという重大な人権侵害を被ることとなった。結果として財産権も著しく侵害され、652日間の長期拘禁から解放され日本へ帰国した2007年5月11日時点で、財産の大半が強制処分されて消失し、路頭に迷う窮状に陥った。重篤な呼吸困難状態で帰国したにもかかわらず医療費もなく、帰る自宅も、迎える家族も会社事務所も失っていた。親子の縁を切られた事を告げられ、生き倒れ状態で行きついた病院のケースワーカーによって、区の福祉事務所に通報され、翌6月に生活保護受給資格が与えられたのであった。このように申立人は、財産権の他に社会権、健康に幸福に生活する平和生存権(憲法25条違反)までをも奪われた悲惨な状態のまま、今日に至ったのである。

(4)さらに逃亡犯罪人引渡法は、高裁の決定に関して不服申立の権利を認めていないため、申立人が不服申立を求めても全く応じられなかった。日本国内で訴追事実に関して審理する唯一の機会であり、引き渡しという人身の自由という重大な人権に対する制約である裁判所の審問及び決定に対して、不服申立ての権利がないことは憲法31条の定める適正手続きに反するものである。

7、申立人に対する強制的な医療行為について

(1)申立人は、同年10月初旬、本人への告知も説明も同意もなしに突然、警察病院に連行された。本人の意思に反して、男性達のいる婦人科へ連れて行かれ、無理矢理、診療台にのせられた。激しく嫌がり、痛がる申立人に対して、複数の男性群がズラリと正面に居並び、覗かれる中で、両脚を大きく開かされた状態にされ、子宮内触診と棒状の器具挿入による超音波エコー検査を、強制的に執行された。申立人は苦痛のため、悲鳴を上げて拒否した。申立人にとっては、この種の内診検査は全く不必要なものだった。拘禁1カ月前の6月30日に、手術前の検査として北里研究所病院の主治医の指示によって、MRI画像を撮影してあったため、この診断を参考にすれば直近の症状を十分に把握できたからである。また、直近の病院カルテには「6月30日。疼痛が激しく、本人が拒否したために、子宮内診検査はできなかった」と、主治医であるI・S女医によって記載され、この結果として、子宮全摘出手術を同年8月に決定した経緯がある。つまり、病院では内診ができないために、代替検査としてMRI画像撮影による診断を行ったにもかかわらず、警察病院では、わざわざ不適切で苦痛を生じさせる不必要な内診検査を強制的に行ったのである。拒否する患者へ強制的医療と検査を行うのは、極めて非人道的行為である。

(2)警察病院での強制的内診検査の結果、米国への送還妥当の結論を南野法務大臣は出して、同年10月25日に東京拘置所でアメリカから来た4人の官憲に引き渡された。

8、アメリカ合衆国に引き渡し後の事情

(1)アメリカ引き渡し後は、ニューヨーク拘置所にて2006年9月13日までの11か月間、過酷な長期勾留下におかれ、各種感染症が蔓延する不衛生な環境の中、申立人の病状は悪化した。申立人は、薬物依存症とその中毒が原因で脳神経を侵された精神病患者の暴力に常時さらされて、ケガを負う被害に遭った。また、B型肝炎や食中毒も発症して、高熱と下痢、腹痛と吐き気、嘔吐を繰り返す一方で体力を著しく消耗し、気管支喘息発作による呼吸困難も度々、みまわれた。加えて、室温が常時、きわめて寒冷状態にコントロールされていたため、寒さで低体温症にも時折陥って、痙攣を起こし、ほぼ寝たきり状態となり、申立人はさらに激しく消耗していった。
引き渡し後の状況は、有罪答弁を受け入れる司法取引の選択の余地しか、最初から与えられていなかった。
 アメリカ合衆国で依頼した弁護人は、申立人に対して、「もういいかげんに頑張らないで、司法取引に応じて“有罪答弁”しなさい。さもないと、陪審員裁判で報復的な厳罰刑の判決が下り、量刑は長期間の禁固刑となる。しかも適切な医療・治療が施されないまま心身をぼろぼろにされてしまうのがオチだ。この国の司法に、正義を期待してはいけない。いったん勾留されたら、最短で出ることだけを目標にするしかない。司法はビジネスだ!最初から勝ち目のないビジネス。政府側が必ず勝つ仕組みのビジネスだから、正義や勝ち負けを期待しても無理だ。真理や道理を追究してもムダだ。あの大金持ちのマーサ・スチュワートでさえ、NYの錚々たるトップ敏腕弁護団を揃えても、巨万のお金の力をもってしても有罪答弁による司法取引をせざるをえなかったではないか!このNY連邦南部地裁は、絶対負けない地上最強の辣腕検察だ。あらゆる手段をいとわず、あなたを極悪人に仕立て上げ、有罪にもっていって、徹底的に叩き潰す。いい加減に、あきらめなさい!悔しいなら、引き渡しを決定した日本政府を怨みなさい!無実を証明したいのなら、まずここから生きて出て、本を書きなさい!本の中にしか、真実はないのです。要は、少しでも傷を浅くとどめ、早く、いかに上手に負けるかだ。このままでは、歯科治療は一切なされず、歯痛は抜歯するしか選択の余地はない。出所する頃には、歯が全部なくなってしまいかねないゾー」と、申立人を繰り返し脅し、大声で罵声を浴びせかけ、恐怖と絶望感を植え付けたのである。
 他に頼んだ弁護人も皆がそろって、申立人に対して、上記のような威圧的な態度で有罪答弁を強引に進め、とうとう精根尽き果てた申立人は、米国司法制度と弁護人に絶望しきって、2006年5月19日、追い詰められて有罪答弁に至った。
 前科前歴のない申立人は、同年7月19日の判決で、執行猶予なしの2年間の懲役刑(実刑)を言い渡され、2007年3月26日までコネチカットのダンベリーにあるマキシマム・セキュリティーの連邦刑務所に収監され、服役した。ニューヨーク拘置所でB型肝炎を発症し、コネチカット州ヨーク刑務所では重度の喘息発作による呼吸困難に陥るが長期間、放置され、病状は悪化した。2007年5月10日の解放後、日本へ帰国し精神科を受診したところ、「過度のストレスに長期間さらされた結果、抑うつ状態に陥りPTSDと“適応障害”を生じさせた」との診断が下った。

9、結論

上述のとおり、申立人には、十分な手続き保障の下での審理の機会が保障されず、人身の自由という最も根幹的な自由が侵害されたのである。さらに、この間、屈辱的な取り扱いを受けて人権を侵害されたのである。申立人に対する人権侵害が生まれる構造として、逃亡犯罪人引渡法が人権保障の観点から極めて不十分なものであることが、申立人の人権侵害を生んだ主要な原因の一つである。よって、申立人は、逃亡犯罪人引渡法を人権保障の観点から適正な法律とすべき処置をとることを強く求める次第である。

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