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NHKスペシャル 20100806 封印された原爆報告書
2010年8月6日再放送 ※2011年8月4日放送
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http://vimeo.com/27382719
href=”http://vimeo.com/user6956370″>open_box on Vimeo.
by open_box
1 month ago
『NHKスペシャル 封印された原爆報告書 2010年8月6日放送
アメリカ国立公文書館のGHQ機密資料の中に、181冊、1万ページに及ぶ原爆被害の調査報告書が眠っている。子供たちが学校のどこで、どのように亡くなったのか詳しく調べたもの。200人を超す被爆者を解剖し、放射線による影響を分析したもの…。いずれも原爆被害の実態を生々しく伝える内容だ。報告書をまとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。国を代表する医師や科学者らが参加した。調査は、終戦直後から2年にわたって行われたが、その結果はすべて、原爆の“効果”を知りたがっていたアメリカへと渡されていたのだ。
なぜ貴重な資料が、被爆者のために活かされることなく、長年、封印されていたのか? 被爆から65年、NHKでは初めて181冊の報告書すべてを入手。調査にあたった関係者などへの取材から、その背後にある日米の知られざる思惑が浮かび上がってきた。
番組では報告書に埋もれていた原爆被害の実相に迫るとともに、戦後、日本がどのように被爆の現実と向き合ってきたのか検証する。
「ヒロシマの黒い太陽」に出てくるマンハッタン計画医療班報告の礎となったのが当該報告書であることは言うまでもない。』
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ローレンモレ 福島原発 日米政府の広島 長崎 福島放射能被害データ改ざん
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dandomina さんが 2011/05/22 にアップロード
7/26 タイトル変更して、翻訳しました。(下も読んで下さい)超重要
Leuren Moret 福島原発テロ 米エネルギー省 CIA 関与 〔ダイジェスト版)
福島でヒロシマ、ナガサキと同じことが行われる | カレイドスコープ http://bit.ly/nmoQ6g
1945年8月の時点で将来、福島がモルモットなることは決まっていたということです。1945年に日本の支配者が世界の支配者とある取り引きをした(広島長崎の人たちを売ったってことですよね。)そのため、また福島の人たちを売らなきゃならないってことです。戦後はまだ終わっていない。
笹本さんは、リンクから、ぜひ全文読んで下さい。
笹本征男さん 占領下の原爆調査が意味するもの(上) http://bit.ly/oxn60V
笹本征男さん 占領下の原爆調査が意味するもの(下) http://bit.ly/pH3a3d
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Dandominaさんの投稿より
投稿者: dandomina
コメント:
こんにちは。 こちらの記事を読んでぜひお伝えしなくてはと思うことがあるのです。現在、史上最大規模(?)の人体実験が日本で進められています。「福島県民被爆人体実験モルモット計画は1945年に運命付けられていた」のではないかという言うことです。
ローレンモレ 福島原発 日米政府の広島 長崎 福島放射能被害データ改ざん – YouTube http://bit.ly/o6yLJM というビデオでは、笹本征男さんの「占領下の原爆調査が意味するもの」という本が取り上げられているのです。第二次世界大戦終戦にあたり、日本の支配者が体制維持のために、広島長崎被爆者データを取り続けることを約束したとほのめかされています。
笹本征男さんのインタビューを見つけました。
http://bit.ly/oxn60V と http://bit.ly/pH3a3d
日本政府が頑なに福島県からの疎開を認めないこと、あまりのも手際のよい被曝者調査体制の構築、まるで最初から計画されていたのではと思うほどです。
「日米地位協定」もそうですが、戦後は終わっていない?日本における20世紀最大の陰謀は、1945年の日本と世界の支配者(国際銀行家)の裏取引ではないのかと思いはじめてます。
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以下、笹本さんは抜粋です。リンクから全文読んで下さい。
笹本征男さん 占領下の原爆調査が意味するもの(上) http://bit.ly/oxn60V
アメリカによる原爆投下は第二次世界大戦の最終段階ですが、まだ戦争中だったという点が大事なポイントです。原爆被害の問題を見るとき、必ずそこがあいまいになってしまう。被害の話になると、突然ひどい話になるから、戦争が続いていたという観点がなくなる。ところがその当時、東京には政府があり、昭和天皇がいて、アメリカ含めた40数カ国の連合国軍と戦争をしていたわけですよね、日本は。だから、新兵器に関して当然攻撃された側の日本軍は、どういう兵器か調べるわけです。それが最初の調査で、もちろん日本軍が中心ですが、軍だけでは間に合わないので、京都帝国大学や大阪帝国大学の物理学者、当時の理化学研究所の仁科芳雄らを動員して調査を補強するわけです。それは一応、米占領軍が来るまでの戦時調査、純粋な戦時における軍事調査、兵器効果調査です。
それから、1945年8月15日というのは僕にとってあまり意味のある日ではないけど、それが敗戦の日なのであれば、そこで軍事調査は終わっていいんです。8月15日、大元帥である昭和天皇は戦争が終わったという詔書を出し、8月20日には日本軍に復員命令を出した。それは兵士が市民になれるということですね。その復員命令が出たということは、軍隊の活動は全部終わっていいということです。日本軍の原爆調査も、やめていいんです、本来なら。ところが不思議なことに、日本の調査報告書を見ていると原爆調査を継続している。そこでまた、なぜか?という問題が起こるわけですよ。
笹本征男さん 占領下の原爆調査が意味するもの http://bit.ly/pH3a3d
原爆をめぐるこの問題は、いわゆる日米安保体制下における日米の従属関係とか、従来言われているそんなことじゃないんです。1945年の敗戦・占領の時点から、日米は原爆問題をめぐってこういう関係になっていた。このことは一体どう表現したらよいのでしょうね。アメリカ政府だけでなく、日本政府もこれだけ被害者を侮辱し、屈辱を味合わせて、なおかつ自分たちが繁栄する体制を築いた。これをどういう言葉で表わしたらいいか、まだ見つからない。ただ一つ僕は「原爆加害国になった日本」という言葉を作りましたけど、それでも足りないから、結論をどうしようかと…。この「原爆加害国となった日本」の定義をどうしようか考えているわけです。
それからもう一つ、日本の特色は、関係者の内部告発がないということです。これだけ屈辱的なことをやっておきながら、なんで恥ずかしいという一言も出てこないのか…ひどい話です。放影研の話になるとすぐに「日米共同研究」などという言い方になって、しかもかつての理事長の重松逸造は新聞で、「放影研は被爆者の福祉のためにやっている」という発言したことがあります。そもそもアメリカ政府が被爆者の福祉と健康のためにやっているということはない。でも、そんなことはありえない。なのにこの問題のプロ中のプロである人物がさらっとそう言ってしまう。それが日米関係でしょう。これは本当なら僕みたいな一人の人間の力だけではなくて、いろんな学問分野の人たちが全部集まって、議論し直すべきものです。もちろん科学者を含めて。そして、何かとても考えにくいことが起きているな、ということを共通認識にして、新しい言葉を作って、新しい思想を作るということ、これしかないですね
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