2011年07月02日(土) フライデー

こんなことが許されるのか
現地対策本部は「住民を見捨てて逃げた!」

12マイクロシーベルトの汚染が判明し、
翌日にトンズラ

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/10685

より

【抜粋 引用開始】

 広野町町長、葛尾村総務課長らが怒りとともに振り返る「3・11から5日間」の真実

「現地対策本部がオフサイトセンター(注)から(福島県庁に)撤退したのを知ったのは(撤退の5日後の)3月20日のことです。3月15日時点ですでに役場機能を他の町に移していて連絡が取れる状態だったにもかかわらず、連絡がなかった。まったく理解できません」

 そう憤るのは、福島県広野町の山田基星町長(63)だ。同町の大部分は福島第一原発から20~30km圏に含まれ、現在は緊急時避難準備区域に指定されている。

・・・

葛尾村もまた、独自の判断での自主避難を迫られた自治体である。同村の総務課長が語る。

「12日に20km圏内の地域に避難指示が出た時点で、うちにも避難指示が出るだろうと思い、準備を始めました。ですが、いくら県にお願いしても避難先を見つけてもらえませんでした」

 周知の通り、第一原発は12日に1号機が、14日に3号機が水素爆発を起こし、大量の放射性物質をまき散らした。しかし政府は当時、「ただちに健康には影響はない」と繰り返すばかりで、避難区域を20km圏内から広げることはなかった。

 結果的に、葛尾村は14日に自主避難に踏み切ることになるのだが、松本允秀村長(73)にそれを決意させたのは、前述の現地対策本部の〝撤退〟であった。だが、松本村長に対策本部から撤退の連絡が入ったわけではない。

「オフサイトセンターが撤退を始めたと知ったのは14日の午後9時頃です。地元の消防職員が教えてくれたのです。息を切らしながら役場内の災害対策本部に入ってきて、『消防無線で聞いたんですが・・・』と伝えてくれた。それを聞いて村長は決断しました」(前出・総務課長)

 なんと、対策本部が逃げ出したことを、消防の職員から聞かされたというのだ。これでは、自治体の適切な行動を指示すべき立場にある現地対策本部が「職責を放棄してトンズラした」と言われても致し方ないではないか。

・・・

 より原発に近い20km圏内の自治体はどんな状況だったか。かろうじて避難指示の連絡が入った自治体もあったが、迅速な避難を実現させたのは、やはり町長らの決断と行動だった。

 福島第一原発を抱える大熊町では、12日午前6時、渡辺利綱町長(71)が細野豪志・首相補佐官から電話を受けた。

「『総理大臣から避難指示がありました。安全確保のために協力してください』と言われました。その前日から、役場内では災害対策本部を立ち上げて、情報収集と対策に努め、バスを約70台用意していたんです。細野補佐官からの電話を受け、このバスで住民を避難させました」

 20km圏内に位置し、第二原発を抱える楢葉町の草野孝町長(68)はこう語る。
「11日の時点で第二原発はそれほど悪化していないという報告が東電側から伝わっていたので、やはり問題は第一原発でした。12日早朝に10km圏内の避難指示が出た時点で、いずれ(楢葉町も含む)広域の避難指示になると判断し、大至急でバスと受け入れ先の手配を始めたんです」

 どちらの町長からも、避難にあたって現地対策本部が何らかの役割を果たしたという話は一切出てこなかった。「対策本部」の名にもかかわらず、何ら機能しないばかりか、周辺の町や村を見捨てた

—それが3ヵ月以上経って浮かび上がる実態なのである

【引用終了】

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