• The Wall Street Journal

福島第1原発、事故直後の新事実が明らかに―WSJ分析

  • 2011年 5月 18日  15:42 JST

【引用開始】

【福島】福島第1原子力発電所では、極めて重要な地震発生後24時間において、これまで考えられていたよりもはるかに急速に状況が悪化していた。ウォール・ストリート・ジャーナルによる事故状況の分析によって明らかになった。

震災発生から3日後の福島第1原発の様子を写したデジタルグローブの衛星写真(3月14日)

 壊滅的な被害をもたらした地震と津波発生から数時間後、発電所の作業員は途方に暮れていた。夕暮れが迫る中、彼らは付近の家屋から懐中電灯を探し出すことを余儀なくされた。正常に機能していない原子炉計器を必死に復旧させようと、津波で押し流されず済んだ自動車を見つけ、バッテリーを取り出した。原発の完全な電源喪失により、危険なほど過熱していた原子炉内の圧力を下げる蒸気放出作業(ベント)ができず、作業員は手動でバルブを開けなければならなかった。

 そのとき重大な判断ミスが発生していた。作業員は当初、発電所の非常用電源がほとんど機能していないことに気付いておらず、復旧の時間はもっとあると勘違いしていたことが調査で明らかになった。その結果、これまで想定していたよりも数時間早く核燃料の溶融が始まっていた。東京電力は今週、福島第1原発の6基ある原子炉のうちの1基で地震当日に相当なメルトダウン(炉心溶融)が発生していたことを認めた。

(中略)

発電所の損傷したメインスイッチに、発電機をつなぐことができなかったのだ。ケーブルの一部が短すぎて、発電所の別の部分まで届かなかった。津波警報も発せられ、作業員は高台に避難しなければならなかった。最初の24時間のうちに接続できた発電機はわずか1台だったことを、東電の資料が示している。 真夜中には、1号機の格納容器内の圧力が、設計時に想定された最大レベルをすでに50%超えていた。放射能レベルが非常に高かったため、東電の清水正孝社長は作業員に建物からの退避命令を出した。

 関係者によると、大胆な手段を取る必要があることが、東電と政府の目に明らかになってきた。すなわち、格納容器が圧力で破損する前に、原子炉内の蒸気を放出しなければならない。

 蒸気放出にはリスクがあった。蒸気は放射性物質を含んでいる可能性があり、近隣地域に危険を及ぼす。だが放出しなければ、容器が壊滅的に破壊される危険が非常に大きかった。菅首相と海江田万里経済産業相は、午前1時半頃、公式に蒸気放出を認めた。

 その後何時間も続いたのは、情報の行き違いや混乱だった。3月12日午前2時45分、東電は原子力安全・保安院に1号機の格納容器内の圧力が想定最大レベルの倍になっているようだと伝えた。

 それでも、蒸気放出口は閉じられたままだった。首相官邸から、海江田経済産業相は東電の経営陣に1時間ごとに電話をし、進捗状況を尋ねた。午前6時50分、海江田経済産業相は蒸気放出を命じた。だが、実行はされなかった。

 東電が今週公表したところによると、3月12日朝のこの時点では、1号機の核燃料はすでに溶け落ち、容器の底に積み重なっていたと思われるという。

 政府関係者らはいま明かす。東電で蒸気放出を決定するのに長い時間がかかったのは、放射性物質を放出すれば事故の重大さが急激に高まると考えられたからだと。東電はなお、蒸気放出をせずに事故を収束させたいと考えていた。なぜなら、大気中に放射性物質を放出すれば、福島の事故は世界最悪のものとなり、チェルノブイリと並んでしまうためだ。

 これに続く記者会見と国会証言で、東京電力の清水社長は、時間がかかったのは周辺住民の避難への懸念と技術的な問題のためだと述べた。この件に関して、清水社長からはコメントは得られなかった。

 3月12日の朝が近づくと、東電の役員を自らせっくために、菅首相は福島第1原発に飛んだ。午前7時頃、10人乗りの自衛隊ヘリコプター、スーパーピューマは、菅首相と複数の補佐官を乗せ、発電所に到着した。

 一行が緊急の対策本部に入ると、東電の職員が放射線レベルをガイガーカウンターで確認した。同行した補佐官は振り返る。同時に入った発電作業員の放射線量が非常に高く、測定した職員はこう叫んだ。「あー、結構高いな、ここは」

 グレーの会議用テーブルが二列に並んだ小さな部屋では、東電の原子力事業を率いる武藤栄副社長と発電所長の吉田昌郎氏の正面に菅首相が座った。

 同席した人々によると、菅首相は、白髪長身の原子力技術者、武藤副社長と衝突した。武藤副社長は、発電所の電力の問題があるため、あと4時間蒸気放出はできないと言った。作業員を送り込んで、蒸気排出弁を手動で開けることを検討しているが、原子炉付近の放射線レベルが非常に高いため、そうすべきかどうか確定できない。一時間ほどで決定すると、武藤副社長は言った。

 菅首相の補佐官によると、「人ぐりが悪い」と武藤副社長は言った。

 同席していた人にようると、菅首相は「悠長なことを言っている場合じゃない、出来ることは何でもやって、早くしろ」と怒鳴った。

 この件に関して、武藤副社長、吉田所長からのコメントは得られなかった。東電の広報担当者は、武藤副社長の発言を確認することはできないと言った。東電は常に、事態収束のために、政府などからの支援を進んで受けてきたと広報担当者は語った。

 菅首相は、このミーティングの後すぐに福島第1原発を離れた。午前8時18分、発電所の技術者が最初に菅首相らに、1号機から蒸気を排出したいと伝えてから7時間後、東電は首相官邸にあと1時間ほどでバルブを開けると伝えた。

 かなり遅れたものの、安全弁はまだ開放が可能だった。問題はこうだ。通常、それは制御室で電動か圧縮空気で開閉するが、いずれのシステムも機能していなかった。

 その結果、高い放射線量の建屋内で作業員が安全弁を手動で開放しなければならなかった。

 福島第1原発のシフト・マネジャーは、最初にバルブに挑戦するのは自分の責任だと考えた。関係者によると、彼は「俺が行く」と言った。

 彼は完全防護服を着用し、マスクと酸素ボンベも身につけた。そうまでしても、彼が戻ったときには放射線レベルは106.3ミリシーベルトに達していたという。この数値は、日本で放射線を扱う職場で、1年間に認められている値の2倍だった。1年間で一般の人が浴びる量と比較すると、100倍以上だった。

記者: Yuka Hayashi and Phred Dvorak  

【引用終了】

元記事はこちら☞ http://jp.wsj.com/Japan/node_237921

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