Published: May 2, 2011

How Osama bin Laden Was Located and Killed

ニューヨーク・タイムズの記事より引用:

ウサマ・ビン・ラディンの居場所はいかに特定され、殺されたか?

☞ http://www.nytimes.com/interactive/2011/05/02/world/asia/abbottabad-map-of-where-osama-bin-laden-was-killed.html

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【山崎ジャーナル】

太平洋戦争中、湾岸戦争中、911テロ発生から、その後の「テロとの戦い」中に起きた女性記者による「政府プロパガンダ・偽証事件」、アフガン・イラク戦争中に繰り返された大本営発表の数々…..、そして今回の電光石火的=「ビン・ラディン殺害→水葬」作戦….。

数え上げれば、きりない政府官報ジャーナリズム=挙国一致の“大本営発表”新聞記事…..。

だから今回の殺害→水葬報道も、ご多分にもれず「インチキだ」、「ねつ造だ」、「政府発表うのみの大本営だ」-と、断定するつもりはない。

しかし日本人よ、忘れてはいけません。

広島・長崎への原爆投下、直後の1945年に米軍の従軍記者の一団が、被ばく地=グラウンドゼロに乗り込んで記事を配信し、ニューヨーク・タイムズ記者はこう配信した。

「米国政府によると、放射線による被害は認められない。放射線被ばくによる、死傷者の事実は確認されていない」と。

そして、この一連の”放射線被害なし”という、まやかし捏造記事を書いて、被ばく事実を恣意的に過小評価した記者は翌年、栄誉あるピュリッツァー賞を受賞したのです。

捏造された政府プロパガンダに、メディアは頻繁にだまされ、時として戦時下ではウソと知りつつ積極的に加担して、真実の報道から遠ざかります。

無知な民衆はこれを鵜呑みにして、だまされることを選択して、目と耳を事実から閉ざします。

政府から一方的に与えられたショーや映像を信じ込み、見たいことだけ、聴きたいことだけ、情報を選択的に受け取り、熱狂的に支持することさえありがち。

今回の急襲作戦:「ビン・ラディン殺害→水葬事件」報道に関しても、イスラム過激派や原理主義に詳しい専門家や、911真実報道を過去10年間フォローしてきたジャーナリストは、政府発表を鵜呑みにしてはいません。

「何を、いまさら…」と感じているはずです。

なぜなら、ビン・ラディンは過去の人。911発生直後の2001年、年末までに持病の腎臓病の悪化で病死したと、当時、アラブ・イスラム世界の複数メディアで報じられ、検証の結果、西側メディアのプロパガンダ報道が信憑性を失ってゆきます。

結論として、ビン・ラディンは米国政府によって、「長期戦争を継続する目的で、“生かされてきた”」と見なすのが、現実的でしょう。

その生死にかかわらず、ビン・ラディンを補足し、サダム・フセインと同様に、形骸化されたおざなり裁判にかけられ、「見せしめ」として、市中引き回しのあと、さらし首にさらされるだろう。という、見立てもありました。

これに反して、私の論評は、「米軍の戦争遂行中は、”大義”として活用され、戦争終結時には『撤退の大義』として、彼の身代わりが殺されて、その物証は公表されることなく、抹殺処分されるだろう」という、推察に基づいていました。

私がこの考えを講演会で公表したのは、2001年10月31日の四谷における、メディア総合研究所のシンポジウムでした。

この日の基調講演は、元共同通信の社長、原寿雄さん。演題は、「ジャーナリズムは、戦争を止められるか?」でした。

私は「止められない」理由が、人間のサガと軍部・為政者の欲望にあると、歴史を引用して結論づけました。

そして私は、この講演から3年8カ月後に、まったく存在しない無実の罪を捏造されて、日本検察の手によって代理逮捕・代理拘禁され、日本国パスポートを取り上げられた上で、米国政府の官憲4人に連行されて東京拘置所から、ニューヨーク拘置所へ強制送還されました。

「日米犯罪人引渡し条約」という名の、日本国憲法の上位に君臨する国際条約が、無実の日本国民を容易に米国へ引き渡す暴挙を、法律的に可能にしたのです。

米国連邦判事が出した判決文の資料を見ると、そこには、こう明記されています。

「サラ・ヤマサキが、犯罪(弁護士との共謀罪)を犯した日=2001年10月31日」の犯行日時が、特定されていたのです。

その日付けこそ、私が日本へ出張し、講演旅行中に、東京・四谷のメディア総合研究所で原寿雄さんと講演していた、まさに当日だったのです。

米政府が私を社会的に抹殺し、言論封殺する目的で後日、投獄したのだとしたら、私の講演のどの部分が彼らを刺激し、何が彼らを怒らせたのでしょうか?

私の講演内容・言論活動が、“虎の尾”を踏んだとしたら、それはウサマ・ビン・ラディンへの言及が、ズボシだったから?

将来のExit plan=アフガン戦争の出口戦略を早々と見透かされたのが、私の冤罪被害の背景にある、秘匿された真の動機なのでしょうか?

次回の山崎ジャーナルで、さらに深読みして、考察することにいたしましょう。

(つづく)

2011/5/3 14:56  【山崎淑子 記】

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