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2013/2/27 キャロライン・ケネディ駐日米大使 スピーチ

【訳/文責:©山崎ジャーナル 川﨑泰彦】

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・・・略・・・

私の父は、善政と公益への献身で知られている18世紀・東北地方の大名、上杉鷹山を称賛していました。

鷹山は民主主義的な改革を導入し、異なる社会階級の人々が新しい方法でコミュニティーにともに加わり奉仕することを奨励しました。彼は質素に生活し、将来への投資、学校を建設し、産業を始めました。

(「国のために何ができるかを考え給え」という)奉仕・サービスへのケネディ大統領の有名な要求(呼びかけ)と、共鳴するような言葉で、彼はつぎのように書いています。:

「国家は子孫に引き継ぐために先祖から受け継ぐもので、私たちの財産と見なされてはなりません。(国家は先祖より子孫へ伝候〈つたえそうろう〉国家にして我私すべき物にはこれ無く候。)

常に成すことを心に懸ければ、成せる。さもなくば、成せない。それはすべてのことにおいて真実です。何かが成せないとき、それはそのひとが心懸けていないからです。(なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり)」

・・・略・・・

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◆Ambassador Caroline Kennedy Addresses ACCJ and the America-Japan Society

Ambassador Caroline Kennedy
Hotel Okura, Tokyo

November 27, 2013

http://japan.usembassy.gov/e/p/tp-20131127-01.html

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【quote end】

AMBASSADOR KENNEDY:

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President Kennedy and Prime Minister Ikeda established CULCON 50 years ago to address similar issues. Fifty years later, we must build on that work, meet the goals of doubling international student exchange by 2020, increasing language study and travel so that 50 years from now, people can look back with the same sense of gratitude that we feel today.

My father admired Uesugi Yozan, an 18th century daimyo from the Tohoku area known for his good governance and sacrifice for the public good. Yozan introduced democratic-type reforms, encouraged people of different social classes to join and serve their communities together in new ways. He lived simply and invested in the future – building schools and starting businesses. In ways that resonate with President Kennedy’s famous call to service, he wrote: “The domain is inherited from our ancestors, to be passed on to our descendants. It must not be thought of as our personal possession. If you put your mind to it, you can do it; if you do not, you cannot. That is true for all things. When something is not done, it is because someone has not done it.”

So now it’s up to us. As we prepare to celebrate Thanksgiving tomorrow, I am grateful for so many things – most of all this opportunity to serve my country, to learn from you, to work with you and with the people of Japan, to bring our two great nations even closer together.

Thank you very much.

【quote end】

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◆キャロライン・ケネディ駐日米大使がスピーチ会見 ニコニコ生放送がライブ配信

The Huffignton Post

投稿日: 2013年11月27日 13時15分 JST 

http://www.huffingtonpost.jp/2013/11/26/caroline-kennedy_n_4347298.html

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◆父JFKは「上杉鷹山を称賛」 公への献身、響き合う

2013年11月27日 20:22

スポニチ Sponichi Annex http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/11/27/kiji/K20131127007094900.html

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【引用開始】

 キャロライン・ケネディ駐日米大使は27日の講演で、50年前に暗殺された父親のケネディ元大統領が生前、江戸時代の米沢藩主、上杉鷹山に心を寄せ「善政と公益への献身を称賛していた」と述べた。

 鷹山は存続の危機に立っていた藩の財政を立て直し、改革を進めて再生へと導いた中興の祖。倹約のために一汁一菜を勧め、自らも実行していたとされ、名君の誉れが高い。

  名言も多く「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり(何かを成し遂げようという意思を持って行動すれば何事も実現に向かうとの趣 旨)」「国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして 我私すべきものにはこれなく候(国家は私物化してはならず、子孫にきちんと伝えなければならないとの趣 旨)」は有名。

 元大統領も1961年の就任演説で「国家が自分のために何をしてくれるかではなく、自分が国家のために何ができるかを問いたまえ」と述べており、ケネディ大使は2人の思想に「響き合うものがある」との考えを示した。

[ 2013年11月27日 20:22 ]

【引用終了】

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◆日本への愛着、随所に=ケネディ大使初スピーチ

(2013/11 /27-21:14)

時事通信

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013112700851

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【引用開始】

 56歳の誕生日と重なった27日のキャロライン・ケネディ駐日米大使の初スピーチには、日本への愛着を伝えるエピソードが随所に盛り込まれた。
 着任早々、信任状奉呈のため馬車で皇居に赴いたケネディ大使の姿を見ようと大勢の人々が沿道に詰め掛けたが、大使は「米大使館員や米国の人々も驚き、私の子供たちも感動していた」と、想像以上の歓迎ぶりだったと笑顔を見せた。
  父の故ケネディ大統領が尊敬していた米沢藩の名君、上杉鷹山(1751~1822年)への言及も忘れなかった。ケネディ大使は鷹山が残した「なせば成る  なさねば成らぬ何事も」の言葉を引用しつつ「民主的改革を導入し、学校建設や起業など将来への投資を惜しまなかった」と評価し、鷹山の業績が父の思想にいかに大きな影響を与えていたかを強調した。
 「かつてないほど良好な日米関係」を次世代に継承する重要性を訴えたケネディ大使。日米の懸け橋を担う一人として、大使のひいき球団である大リーグ・レッドソックスの上原浩治投手の名も挙げ、「大阪で厳しい境遇から始めても、上原投手のようにワールドシ リーズ制覇という偉大な勝利を成し遂げられる」と、日本人による新たなアメリカン・ドリーム達成をたたえた。(時事)(2013/11 /27-21:14)

【引用終了】

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◆JFK尊敬の日本人?ケネディ大使招きたい市

2013年11月26日17時35分 

読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131125-OYT1T01602.htm

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【引用開始】

 ケネディ大使の父、故ジョン・F・ケネディ元大統領は、1961年の大統領就任時の記者会見で、尊敬する日本人として米沢藩中興の祖・上杉鷹山の名を挙げたと言われる。

 安部市長は「ケネディ大統領が本当に上杉鷹山の名前を挙げたか、その確証はないが、まことしやかに言い伝えられていることは事実だ」と指摘。「上杉鷹山を生んだ米沢という町は、日本とはこういう国だということが一目で分かる所。是非見にきてもらいたい」と招請に意欲を見せた。

 具体的な時期などは未定としたが、「手紙を出すなり、政府の人にお願いするなり、来てくれるために有効な手段を考えたい」と述べた。

(2013年11月26日17時35分  読売新聞)

・・・略・・・

【引用終了】

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◆ケネディ大使「父は上杉鷹山を称賛」

2013-11-28 09:57

移ろうままに

http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-11-28

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 【引用開始】

まだ朝飯前のところに、齊藤喜一さん(白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会々長)が「山新見たか!?」と言って飛び込んできた。「山辺の樋口和男さん(白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会副会長)から電話が来た」と言う。山新を開けて驚いた。開けてすぐの第3面に「父は上杉鷹山を称賛」の記事。

実はケネディ大統領が凶弾に倒れて50周年の11月22日を期して、アメリカ大使館のケネディ大使に宛て、来年5月13日の「伝国の辞」碑除幕式にお出でいただくことを検討していただけないかの手紙を、諸資料、ラ・フランスと共に送ったところだった。資料としては、これまでの会発行のチラシの他、内村鑑三の「代表的日本人」、新渡戸稲造の「武士道」のそれぞれ英語版、その他「上杉鷹山に学ぶ 財政破綻を救う感動改革!!」からのコピー、上床訓弘氏の「上杉鷹山は これまで、どのように 評価されてきたか?」等。

キャロライン・ケネディさんが日本大使に決まりそうだと言う話が出始めた頃、齊藤会長が「除幕式に来てもらおう」と言い出した。ケネディ大統領が鷹山公を尊敬 していると語ったという話は、その確認がとれなくてどうもあれは都市伝説ということに米沢でも収まりかけているのを知っている私はちょっと尻込みしてしまった。しかし、かりに都市伝説であったにしても、キャロラインさんに上杉鷹山公のゆえに置賜に来ていただければ、それはそれ、お出でいただいた事実は確かな事実として後世に残る。何より鷹山公精神を世界に発信しようという碑建立の志にとって、この上ないチャンスかもしれない、と数日後思い直して会長の提 案に乗ったのだった。その後、役員会の了承を得て大使の着任を待った。 

会長が手紙の下書きを持って来たのが20日。なんとか22日に出したいと言う。もとより英文で書くことなど不可能なわけで、日本語の手紙を22日に送ることができた。そして今朝の記事。手紙を読んでいただいた結果? 会長舞い上がるのもむべなるかな。

以下、ケネディ大使への手紙。

   *   *   *   *   * 

キャロライン・ケネディ駐日米大使 様

謹啓

 このたびは駐日大使ご着任誠におめでとうございます。

 ご公務ご多忙のところたいへん恐縮でございますが、ご父君元ケネディ大統領に関わります私どもの思いをご理解いただきたくお手紙差し上げる次第です。

 私は、「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」の代表を務める者です。私どもの属する米沢藩の第九代藩主上杉治憲公(鷹山 1751-1822)は、領主領民相互の固い絆を土台に米沢藩を再生させた名君です。公は窮乏の極みにあった米沢藩を、徹底した倹約による財政改革、新しい産業の振興、慈愛の精神に基づく人心の一新によって変革し、天明の大飢饉(1782-1788) にも一人の餓死者も出すことなく、日本全国三百諸藩の範たる藩へと変貌させました。「伝国の辞」とは、三十五歳で藩主を治広に譲るにあたり、藩主としての 心構えを示したもので、時代を超えて心すべき政治の理念を伝えています。ややもすると政治が民心を離れ、物質文化の進展とは裏腹に人心の荒廃が進みつつある中、「伝国の辞」にこめられた鷹山公精神にあらためて深く思いを寄せるとともに、この碑を通して郷土の偉人鷹山公の思いが世界中の人々に伝わることを切 に願い、昨年来白鷹山に「伝国の辞」碑建立の呼びかけを進めてまいりました。「白鷹山」と「鷹山」という名前の近似性はもとより、鷹山公が二十五歳の折白 鷹山へ登拝して藩復興の大志を誓ったと伝えられ、公の揮毫による「白鷹山」の扁額が今も白鷹虚空蔵尊御堂正面に掲げられている、鷹山公にとってたいへん縁深い場所です。私どもの呼びかけは、鷹山公の御人徳のしからしめるところ、予想を超えた共感を呼び、来年5月13日白鷹虚空蔵尊例大祭当日の除幕に向け順調に歩みを進めているところです。

 さて、大使様がご存知かどうかですが、実はご父君ケネディ大統領が亡くなられて間もなくの頃から、「ケネディ大統領が最も尊敬する政治家として上杉鷹山公の名前をあげられていた」という話が広く語られるようになりました。キリスト教思想家内村鑑三(1861-1830)が英文で書いた「代表的日本人Representative Men of Japan」、あるいは国際連盟事務次長を務めた農学者にして教育者新渡戸稲造(1862-1933)の「武士道Bushido: The Soul of Japan」 を通して鷹山公についてお知りになったということでした。(ただしそのことを実証するものはまだ見つかってはおりません。お父上の蔵書の中にいずれかが存在することを期待しています!)このことによって、私どもの郷土の偉人鷹山公の偉大さが一層輝きを増すことになったのは言うまでもありません。と同時に、 ケネディ大統領が私どもにとってたいへん身近な存在となって現在に至っているのです。こうしたわけで、私どもが鷹山公の「伝国の辞」碑を建てようとしている折も折、キャロラインさんの駐日大使ご就任の報が私たちにとってどんなにうれしかったことか、どうかお察し下さい。

 

 つきましては、お願いがあります。

 碑が建てられます白鷹山は、山形県の村山地方と置賜地方の境界にある標高994メートルの山で、山形市、上山市、南陽市、白鷹町、山辺町の3市2町にまたがることから、白鷹虚空蔵尊の例祭日5月13に、5市町の行政関係者による山頂サミットが開催されています。「伝国の辞」碑の除幕はこの時に合わせて行なう計画でおります。吉村美栄子山形県知事もこの碑に対しては関心を寄せておられることから、除幕式への参列をお願いするつもりでおります。そしてもし叶うことであるならば、ケネディ大使にもお出でいただけな いだろうかとの大それた希望を抱き、お手紙差し上げることになった次第です。仮にもしご検討いただけるとするならば、私どもも総力を尽くして歓迎の態勢をつくらせていただく所存でおります。何卒ご検討の程よろしくお願い申し上げます。

 奇しくも今日は、私ども60歳代以上の者の記憶にしっかり刻み付けられたあの日からちょうど50年、 世界中にとって忘れられないこの日に、駐日大使に就任されたばかりの娘さんにお手紙差し上げることの栄とご縁に胸を熱くしております。いささかなりとも私 どもの思いをお伝えできたとするならば、これに過ぎる喜びはございません。最後までお読みいただきほんとうにありがとうございました。

 今後日本大使として世界平和のためにご尽力あらんことを衷心よりご祈念申し上げ、私どもの思いをお伝えするお手紙とさせていただきます。

敬具 

   平成25(2013)年11月22日 

白鷹山に上杉鷹山公「伝国の辞」碑をつくる会

   会長  齊 藤 喜 一

   *   *   *   *   *

なお、ケネディ大統領による鷹山公評価の根拠が、上床訓弘氏の「上杉鷹山は これまで、どのように 評価されてきたか?」の中に、1960年代ワシントン支局にいた日経記者大和勇三氏(その後論説委員長)が非公式会見の場で聞いた話として紹介されていた。同じことを童門冬二氏が講演の中で語っておられる。童門冬二氏講演会「生き方の指針となる平洲先生のことば」

【引用終了】

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◆上杉鷹山は これまで、どのように 評価されてきたか?

上床 訓弘

http://www.d1.dion.ne.jp/~uetoko/ronkou08.pdf

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【引用開始】

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4 歴史上の人物の否定、等閑視と、再評価

昭和20年(1945)8月15日、わが国は太平洋戦争(大東亜戦争)に敗れた。 それまでの価値体系は全て否定され、いわゆる民主主義の名のもとに、旧来の「思想」も「しくみ」も「しかけ」も、ことごとくくつがえされた。

その典型は当然、政治と教育の分野である。 教育の分野で、修身の科目は全て削除され、その中に登場していた人物は殆ど抹殺されてしまった。

鷹山も非民主的人物ととらえられたのである。詳細な検証など殆どなされないままに、否定された。

 

この時、鷹山以上に否定された人物が、二宮尊徳である。

尊徳はその幼名、金次郎。終戦時まで、全国の小学校の校庭に銅像もしくは石像として建てられ、顕彰されていた。たきぎを背負って、書物を読みながら歩いている姿である。

昭和27年(1952)4月まで日本を占領統治したG・H・Q(連合国軍最高司令部)は、これらを一切、撤去させたのだ。

尊徳は、逼迫し破綻しかかった農村や藩から要請されてそこにおもむき、改革を進めてさまざまな成果を上げていった。その説くところは、一人ひとりが私利私欲を捨てて、経済と道徳を統合する努力をし、皆が豊かに生きてゆける道を開こうということであった。

これらのどこが非民主的なのか?

総司令官、マッカーサー以下、総司令部の担当官たちの、「坊主憎けりゃ、袈裟(けさ)まで憎い」という心理が働いたとしか言いようがない。

「戦前戦中、これほど高く推奨されてきた人物たちだから、ともかく抹消せよ」といった短絡的意思決定だったわけだ。

「日本人に対する“骨抜き”政策」の強行であった。

このような状態で年月がたった。

 

さて、評論家の大和雄三氏が紹介したといわれている、今日ではあまりにも有名なエピソードがある。

昭和36年(1961)、アメリカの第35代大統領、J・F・ケネディーが就任した時のことである。会見した日本人記者団が、大統領に質問した。「大統領閣下が最も尊敬なさっている日本人を、一人あげるとすればそれは誰でしょうか?」

ケネディーは即座に答えたという。

「それは、ヨウザン・ウエスギです」

記者たちの中に、ヨウザン・ウエスギを知っている者は一人もいなかったという。

一人もいなかったというのは、若干、誇張ではないかと感じる。敗戦から16年しかたっていない。しかしこのエピソードが多くの人に説得力を持つほど、鷹山が等閑視されていたのは事実である。

ところでケネディーが、なぜ鷹山を知っていたのか?

それは、先にあげた鑑三の「代表的日本人」と稲造の「武士道」を、彼が読んでいたからだといわれている。彼はこの2冊をかなり深く読みこなしていたようである。

昭和40年(1965)ごろから、鷹山についての専門書や郷土史書が出され始めてきている。まとまったものとして、昭和43年(1968)に横山昭男氏が「上杉鷹山」(吉川弘文館)を出している。しかしこれは専門書であって、まだ限定的なものだったのではなかろうか。

昭和50年(1975)頃から、鷹山についての再評価が大きくなされるようになった。

昭和50年にNHKが、総合テレビの「日本史探訪」という番組で、鷹山をとり上げた。

さらに昭和54年(1979)、山本七平氏が「日本資本主義の精神」(新書版、光文社)を出し、この中で鷹山を高く評価した。

私自身、この書で強く動機づけられ、それ以降「上杉鷹山研究」に突き進むことになった。彼のこの本はその5年後に、文庫本として、同社から出版されている。

昭和58年(1983)に作家の童門冬二氏が、「小説・上杉鷹山」上、下(学陽書房)を出した。これは販売部数を大きく伸ばしたという。しかし小説と銘打っている通り、かなりフィクションが加わっている。しかもその内容は、失敗した前期の改革の段階で終わっている。私はむしろ、改革が途絶したプロセスと、再開した後期の改革が重要だととらえている。

この書ではこれらの部分について全く触れていない。

・・・略・・・

【引用終了】

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◆徳洲会の「再生」に期待したい 

2013-11-23 07:01

移ろうままに

http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-11-23

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【引用開始】

・・・略・・・

上床訓弘氏の「上杉鷹山が実現した シントロピー」という文章を読んだ。

 

《わが国の歴史上の人物で、組織のシントロ ピーを実現した典型的な例として、上杉鷹山 (ようざん)の右に出る者はいないのではなかろうか。

鷹山の活躍した時代、江戸の中・後期、全国諸藩はいずれも財政が逼迫し、その立て直 しのためにさまざまな努力が行われていた。 それらの事例の内、成功したものもあったし、 失敗したものもあった。

・・・

鷹山の改革も、その前期の改革は失敗であった。しかし、彼はその失敗の要因を自ら冷 静に振り返り、また、重臣たちに細かく検証させ、改革の長期計画を練り上げさせて、改革に再度、踏み出していった。その後かなりの年月を要したが、これに成功したのである。

・・・

さて、シントロピーとは一体何なのかを、ここで確認しておきたい。 これはエントロピーの対概念である。

エントロピーは、・・・全ての物質はたえず絶対平衡の状態に変化していくということである。一言でいえば、崩 壊の過程をたどることである。

一方その逆のプロセスもあるはずである。 1974年・・・A・セント・ジェルジーが、これにシントロピーと名づけた

これは、無秩序でどろどろした状態から、 秩序だった状態へと変化していくプロセスを さすのである。すなわち、生成あるいは形成 の過程と言ってよい。

・・・

この宇宙には、エントロピーとシントロピーという2つのプロセスが働いている。塩の結晶が溶けていくプロセスもあるし、結晶ができるプロセスもある。宇宙の、ある恒星が爆発してチリとなって拡散して ゆく場面があり、そのチリが寄り集まり巨大 なガス雲になって凝集し、新たな恒星が誕生 してゆく場面もある。

この2つのプロセスは、物質世界にのみあるのではない。われわれが現実に関与している、さまざまな社会的な場面でもこれは存在する。組織もまさにこの2つの側面を、本来的に持っているのだ。

江戸期に改革が成功した藩の事例をつぶさに検討すれば、いずれも、このシントロピーを実現しようとする努力が、そこにあったことが見えてくる。失敗した例を確認すると、 それが不十分だったことがわかる。

鷹山の努力は、組織のシントロピーを実現するポイントを如実に提示している、極めて 端的な事例だと考える。》

・・・略・・・

【引用終了】

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◆講演会「生き方の指針となる平洲先生のことば」

童門冬二の平洲塾 > 講演録等

平洲記念館・郷土資料館

愛知県東海市公式サイト

http://www.city.tokai.aichi.jp/4583.htm

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【引用開始】

「生き方の指針となる平洲先生のことば」童門冬二氏講演会

日時:平成18年5月29日(月) 午前11時30分~午後0時30分

場所:西方寺

「生き方の指針となる平洲先生の言葉」

・・・略・・・

さて、その山形の上杉鷹山公ですが、単なる財政上に生じている赤字、つまりバランスシートに出ている赤字を消すだけだったら、意味がない。前代のバブル経済時代に、日本中の人が悪い後遺症を残しちゃった。どういうことかというと、自分さえ良ければいい、人のことを全然思いやらないというように、心のほうにも大きな赤字が出ているんではなかろうかということで、藩政改革に取り組んだわけですね。米沢藩のバランスシートに生じている赤字をゼロにするのは当然のこと、同時に米沢を出発点にして、当時の日本の国民の「心の赤字」を解消したい。そして、人のことを思いやる優しさとか思いやりといったものを強く持って欲しいということでございますね。
結果として、随分時間がかかりましたけれども、この改革は成功しました。そして、たとえば、「棒杭の商い」というのが生まれまして、どんな僻地にあっても、棒杭を立てて値段表さえつけておけば、売る人がいる必要はない。下にどんな高い品物を並べていても、だれもごまかさない。後で精算しますと、ピタリ御名算。一文の狂いもなかった。それほど、人々の心に温かさ、優しさが蘇っていた。こういうエピソードが残っております。
そのことがきっかけになって、後に起こった天明の大飢饉のときにも、ほかの藩では悲惨な目にあいましたけれども、米沢藩では死者が一人も出なかった。町々、村々と地域ごとに人々が心を持って、義倉というんですが、災害に備えて食料と最小限の生活日用品を保管をしておいて、災害が来たとき、扉を開いてみんなで使おうということになっていたからです。これも言ってみれば、鷹山の教えが津々浦々まで染みついていた結果だという気がいたします。
その鷹山公の師が、言うまでもなく細井平洲先生でありまして、書かれたのが『嚶鳴館遺草〈おうめいかんいそう〉』です。これは、鷹山公との関わりが多く書かれたテキストですが、沖永良部島に流されていた西郷隆盛もこの本に出会って目覚めます。もともと、隆盛は島津久光に対して、非常な怒りを持っていました。しかし、その怒りはあくまでも薩摩藩という小さな池の中での怒りであり、その怒りをもつ自分は池の中の蛙〈かわず〉でしかない。日本の蛙になり、世界の蛙にならなきゃいけないと、翻然と目覚めたのが『嚶鳴館遺草』であります。この本によって、隆盛は、「敬天愛人」――天を敬い、人を愛す――と言う思想を学んだわけでございます。
また、平洲先生の七回忌に、鷹山公が命じて、漢文体遺稿として編纂されたのが『嚶鳴館遺稿〈おうめいかんいこう〉』ということになっていますが、小野重伃〈おのしげよ〉先生が『嚶鳴館遺稿注釈』(東海市教育委員会発行)という解説書を東海市教育委員会からお出しになっておられます。私の本日のお話は、この注釈書の「諸藩編」を参考に平洲先生の言葉をご紹介しながら、独〈ひと〉りよがりで牽強付会〈けんきょうふかい〉な説を唱えさせていただくということであります。

・・・略・・・

 

「愛民」――大名も家臣も民のために存在する

・・・略・・・

平洲先生は上杉鷹山さんに、国の復興、回復する資源は、土と農民以外にいないのだから、この二つを大事にしてくださいなと説かれたわけです。そして、そのときに、藩主、あるいは為政者は、常に民の父母だという気持ちをお持ちください。たとえば、自分の子どもなら、お腹が痛くてピーピー泣いているときに、どうしてこの子泣いているんだろうと、子どもの嘆き、悲しみに手を差し伸べるじゃないですか。その子どもにすることと同じことを、民にもひろげてしてあげてください。こういうことを頼みましたね。これが『嚶鳴館遺草』の中に書かれているわけです。それが平洲先生の根本的な思想であります。
鷹山は三十五歳のときに隠居をして、上杉家の藩主であった先代の重定〈しげさだ〉さんの実子に国を譲るわけですが、その時に、『伝国〈でんこく〉の辞』――国を伝える言葉――というのを書いています。

一、国家は先祖より子孫へ伝候〈つたえそうろう〉国家にして我私すべき物にはこれ無く候。
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候。
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候

です。意訳してしまえば、民は大名や城に勤める役人のために存在はしていない。民のために、大名と家臣が存在しているんだということです。
これは立派な主権在民の思想です。この発言があったのが一七六〇年。まだジャン=ジャック・ルソーは生まれてない。フランス革命も起こってない時代です。つまり個人的人権がどうこう以前の時代です。そんなときに、すでに主権在民の発想をなぜこの一封建大名が言ったんだろうか。そういう疑問を持ったのが、日経新聞の論説委員長も務めた評論家の大和勇三〈やまとゆうぞう〉という人です。この人が、一九六〇年代、ワシントン支局にいたんです。
あるとき、日本の新聞記者、テレビの記者が、時の大統領と非公式な会見をしました。時の大統領は、J・F・Kです。ジョン・フィッツジェラルド・ケネディです。
ケネちゃんに聞いたわけですよ。 「あなたは非常に世界史にお詳しいし、またいろんな偉い人の言葉を演説なんかに引用されています。日本人でだれか、関心を持った方がおありですか?」
「一人おります」
「だれですか?」
「上杉鷹山です」
こっちは、そんな人知らねえ。
「お前、上杉鷹山、知っているか?」
「知らねえ、そんな奴」
「お前は?」
「知っている」
「だーれ、あれ?」
「上杉謙信のせがれ」
いいかげんなことばっかり言っていました。
内村鑑三が『代表的日本人』を書いたのは、明治末年のことでありまして、日本は日露戦争を起こそうとしていた。このときに、明治国家の国是は、ヨーロッパに追いつけ追い越せ。つまり工業化を急げ。同時に軍備を強化せよ。つまり富国強兵であります。内村鑑三は、ヨーロッパに追いつけ追い越せというのを悪いとは思っていないんですよ。二百七十年間の鎖国で、科学技術的には日本は立ちおくれているんだから、それを取り戻そうと一所懸命になることはいいんだ。富国もいい。国を富ますということは、富民〈ふみん〉につながる。つまり国が富めば民も富むんだから、富国富民ならかまわない。問題は強兵。こんなちっぽけな国が軍事大国になってどうすんだ。そのための工業化を急いでいるというふうに取られたら、日本人は外国から誤解されちゃうじゃないかというのが鑑三の考え方で、そこから、欧米先進国の誤解を解こうとして、『代表的日本人』というのを外人向けに英語で書いたわけです。ケネディはこの本を読んでいたんでしょうね。

・・・略・・・

 

宝石を散りばめたように

平洲先生の教えは、いろんな人の中に、宝石を散りばめたように生きていると、私は思っています。西郷隆盛も、吉田松陰も『嚶鳴館遺草』を使っていますが、他にもいっぱいいたに違いない。でも、負け惜しみの強い人は正直に言わなくなっちゃうんですね。「平洲先生の教えじゃない? なんか同じじゃねえか」「あ、そう? 偶然の一致だな」みたいに、ごまかしちゃうのも多かったと思います
それはそれとして、『代表的日本人』の中に入っている中江藤樹〈なかえとうじゅ〉は、「孝」という言葉をもって世に出た人です。ところが、この「孝」を、藤樹は狭義に限定していないんです。まず親に孝を尽くせ。その後で隣家に孝を尽くせ。地域社会に孝を尽くせ。国に孝を尽くせ。世界に孝を尽くせと広げていくわけですよ。これは、平洲先生の「民の父母」と同じなんです。だから、結局は、ヒューマニズム、あるいはだれかのために何かをしようという「恕」の考え、「忍びざるの心」というのは、やはりどなたであれ優れていた人の土台になっていたんだなあという気がいたします。
毎回、講演の最後に申し上げるんですけれど、ルーマニアがまだスターリン体制下に置かれていた頃、コンスタンチン・ゲオルギウという作家がおりました。この作家が、「ほかの国の人々は、一日二十四時間だと思います。ルーマニア国民は二十五時間です。それだけ締め付けが厳しいんです。でも、私は希望を失いません」と言って、『二十五時』という小説を書きました。この一番お終いで、彼はこう書いています。「たとえ世界の終末が明日であろうとも、私は今日林檎の木を植える」
これがいまの世の中で一番大事かなと思います。

・・・略・・・

【引用終了】

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◆大和勇三

やまと ゆうぞう

http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/Y/yamato_yu.html

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1914.9.8(大正3)~ 1991.6.23(平成3)

昭和期の経営評論家

 東京浅草出身。1937(S12)早稲田大学政治経済学部経済学科卒。日本経済新聞社に入社。マニラ支局長、欧州特派員、社会部長、婦人部長、編集局次長、論説委員長を経て、’66取締役となり、’72退任。’73独立して、日本サラリーマンユニオン代表理事をつとめた。

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◆Ambassador Caroline Kennedy Addresses ACCJ and the America-Japan Society

Ambassador Caroline Kennedy
Hotel Okura, Tokyo

November 27, 2013

http://japan.usembassy.gov/e/p/tp-20131127-01.html

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【quote】

AMBASSADOR KENNEDY:

Thank you. Thank you so much. Thank you all for coming – I know everybody here is very busy, so I’m very honored that you all chose to come today. And thank you, Ambassador Fujisaki, for the beautiful flowers you sent me on my arrival and for all you’ve done over the years to benefit the people of Japan and the United States.

Thank you to the ACCJ and the America-Japan Society for inviting me here to speak and learn from all of you, and mostly thank you for the warm welcome and the birthday wishes. I have never had a party this big.

I would like to introduce my husband Ed Schlossberg who is here with me, as well as my colleagues from the Embassy. My Deputy Chief of Mission Kurt Tong I’m sure many of you know well and his wife Mika. Public Affairs Counselor Mark Davidson and his wife Kuniko. Also here are my Chief of Staff Debra DeShong Reed, Political Minister-Counselor Donna Welton, and Economic Minister-Counselor Jessica Webster among others from my team. Maybe you guys could just stand up briefly? John Nylin is here – stand up.

This lunch is just the latest in a series of events over the past week – each of which has really been incredible in its own right, but also symbolic of the larger U.S.-Japan relationship as well.

I’m honored that President Obama asked me to serve as his Ambassador to Japan. It couldn’t be a more important moment as the United States rebalances to Asia. Relations are at an all-time high; we are making real progress in key areas of our alliance; and the partnership is truly a global one. Just before I left home, this message was emphasized in meetings with the President, the Vice President, Secretary Kerry, Secretary Hagel and National Security Advisor Rice. As everyone in this room knows well, Japan is our most important ally in the region, and Japan has no truer friend than America.

We are bound by a common history and common values. Our countries have overcome a difficult past to embrace a promising future. There are deep and profound economic, strategic, and cultural ties, and our societies share a commitment to freedom, democracy and the rule of law.

Japan and America are partners in diplomatic and humanitarian efforts around the globe. We’re working together to solve the difficult challenges in the Middle East, and most recently Japan’s Self Defense Forces and American military jointly delivered food, water and medical supplies to thousands of people in the Philippines whose communities were devastated by Typhoon Haiyan.

Over the course of the past week, I have seen the same spirit of trust and commitment made visible in less dramatic but equally profound ways.

First, my presentation of credentials to His Majesty the Emperor. I think everyone was amazed by the number of people who came out to welcome me. I know that my Embassy colleagues, Japanese political leaders and journalists, and certainly people back home were all surprised – even my children were impressed.

But more striking than the number was the warmth and excitement that seemed to animate the crowd. It was a great tribute to the relationship between our countries, and I know that it was also a tribute to the family legacy that I am proud to represent.

President Kennedy worked hard to strengthen the U.S.-Japan relationship at a difficult time, and my mother often spoke of his wish to be the first sitting President to visit Japan. As a child, it made a deep impression on me that my father’s PT boat had been sunk by a Japanese destroyer, yet just 15 years later he was proud to invite the Japanese commander to his inauguration as President and excited about the possibility of uniting the crews of the two vessels on his future state visit.

That’s a great parable for our larger relationship and a reminder that when we focus on the things that unite us instead of those that divide us, when we look to the future instead of the past, we truly can create a better world.

Change takes work. It takes courage. And it takes perseverance. Those are all qualities I saw in the people of Japan when I first came with my Uncle Teddy in 1978. We went to a Hiroshima hospital and spoke with women who had been burned in the attack. We laid a wreath to honor the past, but my uncle also talked about the future we could build together. I saw then, as I saw for the next 30 years, that he never gave up. He never stopped trying to improve the lives of others.

That lesson is one we can all remember in our own lives, and it’s important in relationships between nations as well. Our parents and grandparents built the United States-Japan Alliance through countless acts of reconciliation, friendship, courage and commitment. Now it’s our turn to continue this work so that we can pass this Alliance on to our children even stronger than it is now.

It was especially meaningful to me to be embraced by the people of Japan during this week of remembrance when I was far from home and family, and I will always remember the comfort and strength it has given me.

That thoughtfulness came not just from the crowds but from political leaders and countless individuals who sent me flowers, have written or spoken to me as I walked Tokyo. The Emperor himself offered sympathy and spoke of President Kennedy with admiration.

Respect for ritual and tradition, and the ability to infuse a formal ceremony with warmth and humanity, are qualities that I admire greatly, and I feel privileged to have been given these gifts by the people of Japan.

Two days after I had the honor of meeting the Emperor, I flew with Lieutenant General Sam Angelella, commander of U.S. Forces Japan and the 5th Air Force, to Yokota Air Base where his headquarters is located. As the military helicopter rose over Tokyo, I saw the giant shape of Mount Fuji in the distance reminding me where I was and how little time we each have in the shadow of something so timeless.

United States Forces headquarters is located in a nice, non-descript three-story U-shaped building from the 1970s. Right in the middle of the “U” where a parking lot used to be now stands the brand new state-of-the-art headquarters of the Koku Jieitai’s Air Defense Command, commanded by Lieutenant General Nakashima. It’s an impressive facility with great capability, the nerve center of Japanese air defense in a tense and potentially dangerous part of the world – monitoring the Senkakus and the DPRK. Right next to General Nakashima sits a chair for the American commander.

Throughout the day, I was impressed by how closely the American and Japanese military are working together. They have common equipment, they train together, and the senior generals have built lasting personal and professional relationships over many years. This mutual respect and close communication are vital to our strategic partnership and evident to every visitor. That’s why this relationship has underwritten the peace, security, and prosperity of the Asia-Pacific region for more than six decades.

That close working relationship was underscored during the recent 2+2 meeting with Secretary Kerry and Secretary Hagel held here in Tokyo for the first time. Work is under way to revise our Bilateral Defense Guidelines for the first time since 1997 and expand the scope of our mutual cooperation. We support the evolution of Japan’s security policies as they create a new National Security Strategy, establish a National Security Council, and take steps to protect national security secrets. We are committed to the realignment of our bases and proceeding with the Futenma Replacement Facility.

Additionally, we are committed to conducting joint exercises and training so that American and Japanese forces can be ready partners in the defense of Japan, as well as continuing to work together in humanitarian assistance, disaster relief, economic development and peacekeeping operations around the world.

At the same time, as Winston Churchill said, “We arm to parley.” In dangerous times, the United States has always stood for the principle that disputes should be resolved through diplomacy and dialogue, and we are ready to assist this process in every way we can.

As Secretary Kerry said last weekend, we hope to see a more collaborative and less confrontational future in the Pacific. Unilateral actions like those taken by China with their announcement of an “East China Sea Air Defense Identification Zone” undermine security and constitute an attempt to change the status quo in the East China Sea. This only serves to increase tensions in the region.

Japan has shown great restraint this past year, and we urge them to continue to do so. We encourage Japan to increase communications with its neighbors and to continue to respond to regional challenges in a measured way. We will continue to consult especially closely with the Japanese government on these issues. And I know Vice President Biden will be underscoring these messages on his visit next week.

Most importantly, every American should take pride in the patriotism, the level of excellence, and the commitment our service members and their families have to the U.S.-Japan Alliance. The Japanese can see every day that America is here for them as a partner in the defense of Japan. And Americans can take satisfaction in knowing that their forward deployment helps keep America safe, and Asia peaceful and more prosperous.

Speaking of prosperity in Asia, it’s time to talk about Abenomics, Womenomics and TPP. As everyone here knows well, this is a moment of opportunity. Japan is enjoying political stability, economic renewal and is eager to increase trade and investment with the United States. Our economic ties are broad and deep, and our economies are closely intertwined. For example, American products, like the Boeing 787, consist of a large percentage – 35% – of Japanese components, and U.S. companies provide half the parts for the new Mitsubishi regional jet. Insurance, energy, healthcare all represent important sources of future trade and investment. And just this week Bloom Energy and Softbank announced an exciting joint venture.

The Japanese sent a large and enthusiastic delegation to the recent Select USA summit, and the entire Asia-Pacific region is poised to benefit from the passage of TPP. This comprehensive, high-quality trade agreement was greatly enhanced by Japan’s participation. It’s complex and difficult yet critical to our overall Asia-Pacific rebalance both economically and strategically. A strong Japanese economy is in the U.S. interest, and TPP is an important lever in Prime Minister Abe’s domestic policy agenda as well.

Ambassador Froman and his negotiators are getting down to the tough issues, but they are optimistic and the Japanese are fully engaged. President Obama is committed to a tight timetable, and I have a feeling that Vice President Biden will deliver that message forcefully next week as well.

But once again, we can’t leave everything up to government. It is up to all of you in this room to make sure that people at home also understand the positive aspects of this landmark agreement, and work to ensure its passage. We must also get ready for implementation so that TPP’s benefits can be widely felt without delay. Our Embassy team is committed to helping you make that happen.

I was impressed that Prime Minister Abe used our first meeting to showcase and discuss his commitment to Womenomics, just as he did on his recent visit to New York. Americans know, and the world has seen, that when women are empowered, the entire society benefits. The IMF estimates that if Japan increased the numbers of working women to the level of other developed countries, its overall GDP would rise 4%.

I believe the prime minister understands that this is not just a women’s issue. It’s a man’s issue. It’s a family issue, an economic and a national security issue, and it’s a moral issue.

In the United States, we still have a good deal of work to do, but I am proud that President Obama’s first act as President was to sign the Lily Ledbetter Fair Pay Act removing the barriers to fighting pay discrimination. And as the first woman to serve as United States Ambassador, I am also proud that the political and economic minister-counselors and our Army, legal and press attaches, as well as my chief of staff are women – and I’m looking forward to learning more about the workplace dynamics here in Japan.

Lastly, over the past two days I visited the Tohoku region where I was deeply affected by the scale of the destruction yet inspired by the strength and resilience of the people there. I was humbled to follow in the footsteps of the U.S. military and my predecessor, Ambassador John Roos, whose deep personal commitment to providing help and hope through Operation TOMODACHI is still being felt every day by the people of the region.

We visited the coastline, where one miracle pine tree remains out of 70,000 that used to be there – evoking the powerful symbolism of the single pine tree in Japanese painting. At the Mangokuura Elementary School, students were amused by my calligraphy attempts and even tolerated my left-handedness.

I brought home little “ambassadors of hope” in the form of knitted creatures made by a group of grandmothers who understand that creativity and community are often all we have in times of loss. Not only does the crocheting help them focus on the present rather than the past, the women also treasure the letters they have received from people around the world who have bought their eco-friendly pot scrubbers. I will be hanging them on the Christmas tree at the Embassy and sending them to friends to remind them of the spirit of Tohoku.

Finally, I was able to donate books to a library dedicated to the memory of Taylor Anderson, an American JET volunteer who taught English there before she was killed in the Tsunami. And when I looked at the list of books that had been selected, I noticed that my Uncle Teddy’s children’s book, called “My Senator and Me” was one of them. It brought a smile to my face to think of how much he and his dog Splash (who is the actual author of the book) would have loved knowing they were big in Mangokuura.

It was two days that Ed and I will never forget. Like the travel and U.S. homestay programs in which 10,000 young people have participated, this visit brought to life the vital role that the TOMODACHI initiative plays in connecting these communities to the broader world. For those of you in this room who have supported the TOMODACHI programs, I hope you will take great satisfaction in the impact that your contributions have made, that you continue to support these efforts, and maybe that you will go and visit the people there who are benefitting from your generosity so that they can thank you in person. I bet you would come back with even more great ideas for programs to help.

Our young people have so much in common. It might start with anime, but it can become Astronaut Wakata, commanding NASA astronauts on the International Space Station. It might start on a back lot in Osaka and end in the greatest triumph in 86 years as Koji Uehara pitched the Red Sox to victory at Fenway Park. Now that the world is interdependent and international, those of us in positions of seniority in this Alliance need to make sure that young people have opportunities for collaborative composition that are varied and meaningful – in the arts, science, education, sports and business.

President Kennedy and Prime Minister Ikeda established CULCON 50 years ago to address similar issues. Fifty years later, we must build on that work, meet the goals of doubling international student exchange by 2020, increasing language study and travel so that 50 years from now, people can look back with the same sense of gratitude that we feel today.

My father admired Uesugi Yozan, an 18th century daimyo from the Tohoku area known for his good governance and sacrifice for the public good. Yozan introduced democratic-type reforms, encouraged people of different social classes to join and serve their communities together in new ways. He lived simply and invested in the future – building schools and starting businesses. In ways that resonate with President Kennedy’s famous call to service, he wrote: “The domain is inherited from our ancestors, to be passed on to our descendants. It must not be thought of as our personal possession. If you put your mind to it, you can do it; if you do not, you cannot. That is true for all things. When something is not done, it is because someone has not done it.”

So now it’s up to us. As we prepare to celebrate Thanksgiving tomorrow, I am grateful for so many things – most of all this opportunity to serve my country, to learn from you, to work with you and with the people of Japan, to bring our two great nations even closer together.

Thank you very much.

【quote end】

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