【たとえ敗訴が濃厚でも、提訴しなくてはならない『社会正義実現』裁判がある】
裁判に訴えないと、過失を認めない政府と国策企業・東電の厚顔無恥。
提訴して、損額賠償請求するしかないのは、東電と国・行政がまともな損害補償をせず、被災者・被害者の痛みに真摯に向き合おうとしないから。
被害者の痛みと苦しみから目を背ける不感症の鈍磨した政府、国家権力なんか、いらない!
今後、被ばく米兵による米国提訴、酪農家ご遺族による本提訴に続いて、被災者・ご遺族・ヒバクシャや国外、日本国民による様々な刑事・民事訴訟が次々と提訴されてゆくだろう。
何年も何十年も継続する無数の裁判による損害賠償請求額の総額も、裁判費用も、天文学的数字に上る青天井だ。
これらは全て、我々、日本国民の税金によって負担されることになる。
裁判に勝っても負けても、負担を強いられるのは一般国民と相場は決まっている。
この悪循環、無間地獄に増税負担が加わって、市民はもはや働くモーティベーションとヨロコビを喪失している。
これが斜陽日本の絶望的な現実だ。
会期中の国会論戦を見ていても、虚しい限りだ。
登壇する国会議員さんたちは4千万円の報酬と、年額1億9千万円の歳費をもらう高額所得者。
いわば特権階級に属する方々だ。
国会議員と3人の秘書へ支払われる歳費と報酬は、国民を代表する代理人として税金から賄われている。
なのに彼ら特権階級には、生活保護世帯や病人や失業者、母子・父子世帯、無年金生活者の痛みが、実感として理解できない。
ゆえに、庶民の声が国政に反映されにくいジレンマとパラドックスが厳然と存在し、この構造と意識格差が解消されることは未来永劫、不可能に近い。
そのため私には、国会の予算審議をめぐる論戦がしばし茶番に見えて、虚無感で悲しくなることがある。
我々一般市民のニーズと、庶民感覚とは、あらゆる面でかけ離れている論議が空虚に繰り返され、解散→総選挙の茶番と膨大な税金の浪費を毎年のように見せられている。
それに辟易としきった国民感覚を、国会議員はシンパシーをもって共感し、エンパシーを感じることがあるのだろうか?
常態化する国会空転に、国民はあきれ返り、あきらめきっているのではないだろうか?
国権の最高機関である国会にも、裁判・司法に対しても、行政・官僚組織にも完全に期待を失った、哀れな日本国民に希望はあるのか?
近年、相次ぐ不祥事で明らかになった国家権力「腐敗の双璧」といえば、警察・検察と最高裁が象徴するエリート官僚組織と、彼らの鉄壁な自己防衛システム。
その裁判所といえば、人事権を内閣に握られ、判検交流による法務省との癒着で独立を失った「基本的に国家・官僚の身内と、国策企業・既得権益を守護する用心棒的存在」が、その実態、実像である。
そのため、国賠を提訴しても勝訴するのは大概、国側と相場は決まっているではないか。
「市民を守る裁判所」なんて最初から存在しない。
正義の希求とか、公益性・社会正義の実現なんて、しょせん絵に描いた餅。
検察官僚や裁判官、弁護士に社会正義を期待するのは土台、無理。
私をレイプし、示談合意したはずの和解金を踏み倒して日本へ逃げ帰り、その上、米国検察官に無実の私を売り渡したのは、東大法学部卒業でトップ証券会社営業職の弁護士Cだった。
弁護士の互助会である弁護士会は、この山崎淑子の冤罪事件を知って、同僚レイプ連続犯(C弁護士)と自己防衛、組織防衛を目的に、必死の隠蔽工作を行った。
仲間の、悪徳不良弁護士をかばうことが、終始一貫して最優先だった。
依頼人の「権利擁護」は後回しの現実に直面し、弁護士の正体を知ったのだった。
誰もが、他人より自分がかわいい。
見知らぬストレンジャーよりも、仲間のほうが断然カワイイのである。
冤罪に陥れられるまでの10年間のプロセスで、私は悲しみとともに、腐りきった日米の弁護士たちを大勢見てきた。
日米の裁判過程と、その後の拘禁・服役期間中に18人の弁護士の不正と弁護過誤、ネグレクトを体験した私は、司法ビジネスの闇の深さを目撃し、絶望をきわめた。
「弁護士なんて、そんなものよ。それが浮き世の現実なのだから、あきらめなさい」
と、周囲は私を慰めようとするのだが……。
裁判に社会正義の判決を期待するのは、国民の側の幻想にしかすぎない。
原発事故と放射能被害を含む、過去の公害・企業悪・行政の責任を問う裁判は、原告市民が負けるケースが圧倒的だった。
判例では、「(原発事故や放射能、企業活動による公害との)因果関係が認められず」との判決で、市民の訴えは退けられてきた。
悔しいけれど、これからも原告市民の訴えが届く裁判を期待することはできない。
被害者・被災者は、負け続けることだろう。
最後の砦である裁判に希望がないのであれば、私達、被害者・被災者はどこに、誰に救済を求めることができるのだろう?
残念ながら……救済は、どこにもないのだ。
と、私は体験的に知っている。
それでも、死が訪れず最後の瞬間まで、与えられた場と限られた環境下で、懸命に生き抜いてみようと毎日、笑顔とカラ元気で生きています…。
くさることなく、不平を述べず、自分を鼓舞して「唇に感謝と歌を♪」と、とりあえず、今日を生きてみるのです。
辛くて泣いてるあなたも、温かいお茶で気分をひとまず落ち着かせて、まずは今日を生きてみてね!
たとえ明日に希望の光が見えなくても、この一瞬を生き抜いて、生をしみじみ愉しむ小さな工夫を試みてください!
独り言でいいから、「今日に、ありがとう!」「生きていて感謝!」って。
生き残った者が、感謝して一生懸命に生き抜くことこそが、生きたくても生き延びられなかった方々への、何よりの供養になるに違いなのだと、私は自分に言い聞かせて元気に陽気に生きています。
カラ元気でもいいじゃん、って開き直って。
心で泣いていても、とりあえず、微笑んでみるのです。
ちょっと無理して、自分を鼓舞して……「うふふ、あなたは大丈夫?」って。
2013/02/21 10:20 山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!
山崎淑子 記。
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自殺の酪農家遺族 東電提訴へ – NHK (2月20日22時)

http://goo.gl/Zr1yF

#genpatsu #genpatu #save_fukushima

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昨日、記者会見した菅野バネッサさん。自殺した酪農家・菅野重清さんの妻。

東電を相手に来月提訴へ。 

http://twitpic.com/c5hcsg 

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【貼付転載開始】

自殺の酪農家遺族 東電提訴へ

2月20日 21時15分

おととし、福島県相馬市の酪農家の男性が自殺したのは、原発事故による避難で家族が離れ離れになったことや、酪農を続けられなくなったことが原因だとして、男性の遺族が、東京電力に慰謝料などの支払いを求める訴えを起こすことになりました。

訴えを起こすのは、おととし6月、自宅の小屋で自殺した福島県相馬市の酪農家、菅野重清さん(当時54)の妻で、フィリピン人のバネッサさん(34)と8歳と6歳の2人の息子です。
バネッサさんは20日、東京で記者会見し、「夫は『原発さえなければ』と書き残して命を絶った。原発事故によって、仕事も家族の団らんも地域での生活もすべてを奪われました」と述べました。
そして、自殺は、原発事故による避難で家族が離れ離れになったことや、酪農を続けられなくなったことが原因だとして、東京電力に慰謝料などおよそ1億1000万円の支払いを求める訴えを、来月、東京地方裁判所に起こすことを明らかにしました。
内閣府の調査によりますと、福島県では、おととし6月から去年12月までの間に、東日本大震災と原発事故を理由に少なくとも21人が自殺しているということです。

【貼付転載終了】

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