~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

理想に燃える下級武士が単独で近代革命を成し遂げたとする司馬遼太郎によるいわゆる司馬史観を否定。

副島隆彦氏

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

司馬遼太郎の役割:(司馬史観の嘘、歴史小説家の罪)

ライシャワー=ジャンセンの「日本は開国で近代化した」との日本史観を受け継いだ。

『竜馬がゆく』などの幕末物・大衆小説でその歴史観が、日本人にすり込まれた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

米国賛美の「開国で近代化」論  8/21 日本を守るのに右も左もない より

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「封建制国家を一夜にして合理的な近代国家に作り替えた明治維新」を高く評価する司馬史観は、ライシャワー駐日大使の『日本史』やマリアス・ジャンセンの『坂本龍馬と明治維新』の日本史観を受け継いだもの。「日本は開国で近代化した」「個人英雄が歴史を動かす」という歴史観を忠実にとりいれた。

 

ライシャワーは、第二次大戦中に、アメリカの陸軍日本語学校の設立にかかわり、日米開戦以後は、日本軍の暗号解読のための研究所の設立や、日本敗戦後の対日占領政策を決定する国務省の会議にも参加。

天皇制を戦後はアメリカの傀儡としてつかうこと

したがって天皇を戦争犯罪人のリストからはずし、

東条英機ら一部軍部中枢に責任をなすりつけるうえで重要な役割をはたした。

 

明治維新、あるいは近代化とは何だったのか?

共同体の破壊と金貸し支配国家への転換である。

歴史事実を歪曲し大衆的に流布する上で、司馬遼太郎や阿川弘之をはじめとする歴史小説家が果たした役割(罪)は大きい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆幕末の思想5 司馬史観の嘘、歴史小説家の罪

日本を守るのに右も左もない

2012年08月21日

http://www.sa-yu.net/blog/2012/08/002324.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【引用開始】
現代日本人の抱く幕末像を形成したのは、『竜馬がゆく』をはじめとした司馬遼太郎の小説によるところが大きい。
前回の記事「吉田松陰は単なるテロリストにすぎない」にあるように、単なるテロリストにすぎない吉田松陰が偉大な思想家・教育者であるかのように捏造されたのも、司馬遼太郎の小説が一役買っている。
ところが、この司馬史観は事実に反することが明らかにされている。

 

―――――――――――――――

『原田伊織の晴耕雨読な日々(第二幕)』「維新の“真犯人”;水戸藩の狂気(其の六 水戸の公家かぶれと司馬史観の罪)」

―――――――――――――――

(引用開始)

司馬遼太郎氏は「桜田門外ノ変」(水戸藩の武士による大老井伊直弼の暗殺)については大変な罪を犯している。司馬氏は、すべての暗殺を否定すると断言する、その同じ舌で「ただ、桜田門外ノ変だけは「歴史を進展させた」珍しい例外」であると断じ、このテロを高く評価するのだ。驚くべき稚拙な詭弁だと言わざるを得ない。「歴史を進展させた」という一言で、司馬氏がどういうスタンスで幕末史を語っているかが明白に顕れている。

司馬氏には、人物で言えば三つの過ちがある。
坂本龍馬(司馬氏は「竜馬」という表記で逃げ道を作っている)、吉田松陰、勝海舟の三人を高く評価した点である。司馬史観というものがあってその核に「桜田門外ノ変」とこの三人の存在があるとすれば、司馬史観とは大いなる罪を犯していると言わざるを得ない。そして、それは創作された虚構に過ぎない。

(引用終了)
―――――――――――――――

「司馬史観」

―――――――――――――――

(引用開始)

「司馬史観」とは、司馬遼太郎の一連の作品に現れている歴史観を表した言葉で、端的に言えば「合理主義を重んじる」ということが前提としている。
具体的には「明治と昭和」を対置し、「封建制国家を一夜にして合理的な近代国家に作り替えた明治維新」を高く評価する一方で、昭和期の敗戦までの日本を暗黒時代として否定している。そして、合理的で明晰な思考を持った人物たちを主人公とし、明治という時代を明るく活力のあった時代として描いた。

かくて、戦前のすべてを悪しきものとして否定する進歩史観が猖獗を極めた戦後日本にあって、司馬作品のみならず司馬史観もがもてはやされたのは容易に理解できるところである。

(引用終了)

―――――――――――――――

 

それに対して副島隆彦氏は、明治維新について、理想に燃える下級武士が単独で近代革命を成し遂げたとする司馬遼太郎によるいわゆる司馬史観を否定し、イギリスが当時覇権を争っていたロシア帝国の勢力拡大を防ぐため、岩倉具視、坂本龍馬らのスパイを育成・使役することによって親イギリス政府を作るという世界戦略の一環であったと主張している。
―――――――――――――――

『人民の星』「ライシャワー史観打ち破れ 維新革命の真実ねじまげる」によると、司馬遼太郎が持て囃されたの背後にはアメリカの戦後対日政策があり、『竜馬がゆく』もライシャワー駐日大使の『日本史』やマリアス・ジャンセンの『坂本龍馬と明治維新』の日本史観を受け継いだものだという。

―――――――――――――――

(引用開始)

◇米国賛美の「開国で近代化」論

「開国で近代化」論は、米日反動が教育をつうじ商業マスコミをつかい、小説やドラマなどあらゆる手段で四六時中ふりまいてきた。昨年から今年にかけても、各地で「開国・開港一五〇年」の催しが鳴り物入りでやられ、NHKは大河ドラマ『篤姫』で開国が正当であったとえがき、来年は『龍馬がゆく』の二番煎じを、莫大なカネをつぎこんで制作し放映するとやっきになっている。

 

◇ライシャワー先頭に振まく

この「日本は開国で近代化した」という論調は、米日反動が戦後の日本で、とりわけ六〇年「安保」反対の空前の斗争以後、労働者、人民の斗争を鎮静化し、日本の一部の文化人、知識人、労働官僚を買収し、親米思想に転換させるためのもので、とくにアメリカの駐日大使ライシャワーが先頭きっておこなった日本での思想工作の重要な構成部分であった。

 

この歴史観の核心は、「開国が近代化をもたらした」すなわちペリー来航が日本近代化の発端であるとして、アメリカのおかげで日本は進歩したとおもわせることにあった。

 

六一年に、「親日で東洋史・日本史の最高権威者の一人」というふれこみで駐日大使としておくりこまれたライシャワーは、第二次大戦中に、アメリカが対日作戦遂行のためにつくった陸軍日本語学校の設立にかかわり、日米開戦以後は、日本軍の暗号解読のための研究所の設立や、日本敗戦後の対日占領政策を決定する国務省の会議にも参加し、天皇制を戦後はアメリカの傀儡としてつかうこと、したがって天皇を戦争犯罪人のリストからはずし、東条英機ら一部軍部中枢に責任をなすりつけるうえで重要な役割をはたした。

 

来日したライシャワーは労組幹部、知識人、文化人の切り崩しに狂奔し、「古典的マルクス主義」との対決をさけびながら、労働貴族の育成に力をいれ、労働運動のブルジョア化をやっきに促進した。

 

当時の大統領ケネディの「平和戦略」は、反米の革命的な斗争を破壊するために、ソ連を頭とする現代修正主義を、日本においては「日共」宮本修正主義を起用したが、そのケネディの日本での手代がライシャワーであった。

 

◇明治維新観を歪曲する攻撃

ライシャワーのイデオロギー面からの攻撃の、一つの重点は明治維新観の歪曲であった。かれは、さまざまな場で明治維新にはじまる「日本近代一〇〇年」の栄光をたたえた。しかし、それは近代化はアメリカによってなしとげられたものとねつぞうすることであった。

はやくも六一年には、『思想の科学』(一一月号)の特集「明治維新の再検討」や『中央公論』(六二年一月号)での「明治維新の意味」と題した討議というかたちで、明治維新の論議が組織され、そこに登場した知識人たちは共通して「人民が歴史の推進力だという見方をしりぞける」論調をおしだし、人民が米日反動との斗争にたちあがらないように画策した。

このような「ケネディ・ライシャワー路線」を、大衆・通俗小説で日本人民のなかにふりまいたものが、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』にほかならなかった。この小説は、ライシャワーが駐日大使として着任した翌年の六二年六月から、親米・反共の『産経新聞』が夕刊に連載をはじめたものである。

 

司馬の『龍馬がゆく』は、アメリカの日本史研究者であるマリアス・ジャンセンの『坂本龍馬と明治維新』(六一年発表)を参考にしている。マリアス・ジャンセンはライシャワーの弟子であり、ライシャワーの著作『日本史』の歴史観をうけついだ。司馬の歴史小説、とりわけ幕末維新をえがいたものは、ライシャワーを源流とする「日本は開国で近代化した」「個人英雄が歴史を動かす」という歴史観を忠実にとりいれた。

 

◇「外圧」を礼賛する『日本史』

ライシャワーが一九四六年に出版し、その後も加筆してきた『日本史』で展開されている明治維新観は、どんなものであろうか。そのまえがきでは、つぎのように要約している。

「科学技術面でのヨーロッパの台頭は、突如として雷雨のごとく世界を吹き荒れ、その結果、日本も孤立をゆるされなくなった。……列強の支配から逃れる唯一の方途は、自らも西欧の科学技術をできるだけ速やかに採用することであった」
「長年にわたる日本一流の政治、社会、経済機構を一変させたのは、このような過程における喫緊事としてであった」
本文中では、こういっている。
「やがて、内部的に弱体化していた幕府の体制は崩壊し、新しい日本の誕生のための地ならしが行われることになるのだが、その起動力になったのが、この外国からの圧力なのであった」と。

ライシャワーの弟子のマリアス・ジャンセンも、師匠のライシャワーのこの近代化論史観(日本は開国をつうじて近代社会に変革したという論)にそって日本研究をやり、その史観から『坂本龍馬と明治維新』を書いた。

当時、坂本龍馬を研究対象にした学者はすくなく、しかも龍馬の手紙やエピソードなどおりこんで本にしてアメリカで発刊したのは、これがはじめてのものだった。

◇公武合体派の龍馬もちあげ

ジャンセンは、「日本のように、欧米人が征服の目的なくやって来て伝統的な社会と衝突したところでも」と、欧米列強が日本を植民地化するために、やってきたことをかくした。

ジャンセンは坂本龍馬を、おなじ土佐の郷士であった革命家・中岡慎太郎に対立するタイプとして、意識的にえらびだした。中岡についてジャンセンは「長州の軍事組織の保護下に自分自身の部隊をつくるにいたる」といい、高杉晋作のつくった奇兵隊のもとで、農民町民に依拠して幕藩体制の打倒をめざした革命家としての中岡を否定している。

そしてかれは、「明治新政府の最初の綱領となる」「独自の一体系をあみだすことに力をよせ」たと坂本龍馬をもちあげ、「われわれは、同時代の政治教育を典型的に現わす思想と行動の流れの発展をみることができよう」と、公武合体派であった坂本龍馬を「時代の典型」として売りこんでゆこうとたくらんだのである。
 それが司馬遼太郎の下敷きとなった。

だが、米日反動が必死にふりまいた、このような反動的な維新観はいまやうちくだかれようとしているのである。

(引用終了)

―――――――――――――――

 

明治維新、あるいは近代化とは何だったのか?
その答は「共同体に立脚した江戸幕府と、共同体を破壊した明治国家」で提示されている。
すなわち、共同体の破壊と金貸し支配国家への転換である。
司馬遼太郎は『坂の上の雲』などで「日本海軍は優秀で、陸軍は無能」と謳っているが、これも、実はアメリカの手先であった旧海軍(米内光政や山本五十六)があたかも戦争に反対した平和主義者のごとく喧伝することに繋がっている。
『るいネット』「海軍の米内光政、山本五十六はロックフェラーの手先1」
とりわけ戦後は近代化や合理主義が手放しで礼賛されてきた。しかし、それは金貸し支配の進行であった。
このように歴史事実を歪曲し大衆的に流布する上で、司馬遼太郎や阿川弘之をはじめとする歴史小説家が果たした役割(罪)は大きいと言わざるを得ないだろう。

【引用終了】

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Related Posts

関連記事

Tags: , , , , , , , , , , , , ,

11件のコメント on ライシャワーの洗脳工作【歪曲された明治維新】明治維新は、イギリスが当時覇権を争っていたロシア帝国の勢力拡大を防ぐため、岩倉具視、坂本龍馬らのスパイを育成・使役することによって親イギリス政府を作るという世界戦略の一環であった。副島隆彦氏。8/21日本を守るのに右も左もない http://p.tl/q_cq

  1. 通りがけ より:

    「今こそヒバクシャの声≪峠三吉からの贈り物≫を聴くとき」

    福島住民の証言 「病院に検査を断られる」 「福島県知事から、福島県民の診察を受け入れないよう指示」 (原発問題) 
    http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/688.html
    へ峠三吉の著作を書き込みました。

    [39]
    >>26母系社会http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/688.html#c26
    峠三吉「すべての声は訴える」にそのことが克明に書かれている。
    >>http://hidenori1212.cocolog-ni.....t-72617404
    ・・・前略・・・
    そうしてこのことがその後(のち)効果をあげるために
    どんなに言いひろめられたかを見るのは興味深い
    先ず 原子爆弾の絶対的な威力をつたえる言葉が流布(るふ)された
    「この威力 正に火薬二万トンに匹敵」(中国二〇・八・一五)
    「今後七十年は棲(す)めぬ-戦争記念物広島、長崎の廃墟-」(毎日二〇・八・二四)
    「死者なほも続出」(朝日二〇・八・一三)
    「広島の被害世界一」(中国二〇・九・四)
    そして永(なが)く原爆のことを書くことが禁止されていた
    この恐怖とともに
    原爆こそ日本の救い主だった、感謝すべきだ
    原爆は平和をもたらしたものであり、広島の犠牲者は
    平和のための殉教者(じゅんきょうしゃ)のように扱われ、家族を失った人々は
    それをもって諦(あきら)めようとした
    諦めさせるには広島が真宗(しんしゅう)の伝統的地盤であるということは
    もって来(こ)いであったし
    長崎もカトリックの地盤、しかもわざわざ信徒たちの居住地の上に落としたのも
     意味のない事ではないと思われるのだが(医科大学、養育院、天主堂のある
     町はずれの地区)
    かくして「ノーモア-ヒロシマズ」が叫ばれ
    片方でアメリカを美化し
    片方で広島では平和を売り物にすることとなった(広島平和記念都市建設法案が
     二四年めでたく議会を通過する)
    毎年の八月六日 爆心地の平和塔の前で市が主催する平和祭は、花火をうちあげ
     鐘(かね)や鳩(はと)や展覧会や踊りの大会と賑(にぎ)やかにくりひろげられ、五人
     の孤児たちが父母に再会しようと少年僧になったことがもてはやされ、ミス・ヒロシマ
     が長崎の土をはらはらふりかけたりするが、生き残った人々の根深い反発を受けた
    しかし一九四九年、ソヴェートの原爆所有が明らかとなり
    一九五〇年六月二十五日、朝鮮戦争が始まってより
    その声が変化してきたのを私たちは知っている

    今までの悲惨さによる威嚇(いかく)から(水素バクダン!)
    原爆の記憶を抹殺(まっさつ)しようとする動きに変わってきた
    原爆広島の象徴(しょうちょう)になってきた産業奨励館のドームを崩し
    原爆娘は戦犯(せんぱん)を慰問(いもん)させられ
    原爆一号といわれる十六回の手術を繰り返したK氏のケロイドの体も日赤から追放し
    一方、精神養子の運動が行われ
    広島の廃墟と魂(たましい)の傷痕(きずあと)を緑の芝生と植民地的文化によって
    埋めつくそうと変わってきた
    再軍備は原爆投下の意味の延長であり
    その中ではすでに戦争を否定(ひてい)する平和の声は弾圧(だんあつ)される
     (一九五〇年の官制的なものも平和祭の全面的禁止!)
    そして一九五一年の八月六日の式典には朝鮮戦線からの
    パイロットが参列し
    広大学長は戦争を肯定(こうてい)する平和をとなえる

    この中で誰が沈黙(ちんもく)していられるだろうか
    広島の 長崎の
    いや日本人としての私たちがどうして黙って居(お)れようか
    この詩集の中で大人たちは「死ぬ前でないと本当のことはいえぬ」
    という叫び声をあげた
    子供たちは真向(まっこう)から戦争と原爆反対の声をはり上げる
    この仕事の中で結ばれた子を失った主婦は、夫を失った未亡人は、ケロイドの娘は
    共(とも)に立ち上がって原爆を落としたものに対し「つぐないを!」
    と叫ぶ
    流された血はつぐなわれねばならぬ
    しぼられた涙は拭(ぬぐ)われるべきだ!
    しかも未(いま)だ この詩集に現れたものの何倍、何千倍の声が
    心の奥に秘(ひ)められているならば!・・・・・・

    [40]校正
    広島で被爆した峠三吉はその八年後36歳で原爆症のため夭逝した。死の二年前にガリ版刷り「原爆詩集」を発表し同年ドイツ「ベルリン世界青年平和祭」で世界中から核兵器廃絶に6億人もの署名を集めた。>>http://www.st.rim.or.jp/~success/tohge_ye.html
    原爆詩集の自筆のあとがきを示す。
    >>http://home.hiroshima-u.ac.jp/.....Poems.html
    ・・・以下略・・・

    [42]校正
    >>40
    峠三吉原爆詩集あとがきは一九五一年六月一日付けのものもある。こちらのほうが推敲前の生原稿であり一九五二年五月十日付けのあとがきより訴求力がある。(下関原爆展事務局発行「峠三吉原爆詩集」よりタイプする)

    あとがき
     
     私は一九四五年の八月六日の朝、爆心地より三千米あまり離れた町の自宅から、市の中心部に向って外出する直前原爆を受け、硝子の破片創と数ヶ月の原爆症だけで生き残ったのであるが、その時広島市の中心より約二千米半径以内にいた者は、屋内では衝撃死又は生埋めにされたまま焼死し、街路では消滅、焦死。あるいは火傷して逃れたまま一週間ぐらいの間に死に、その周辺にいた者は火傷及び原爆症によって数ヶ月以内に死亡、更にそれより遠距離にいた者が辛うじて生き残り、市をとり巻く町村の各家庭では家族の誰かを家屋疎開の後片づけに隣組から出向かせていたため骨も帰らぬこととなった。又その数日前ある都市の空襲の際撒かれたビラによるという、五日の夜広島が焼き払われるという噂や、中学校、女学校下級生たちの疎開作業への動員がこの惨事を更に悲痛なものとさせたのである。
     今はすべての人が広島で三十万近い人間が一発の原子爆弾によって殺されたことを知っている。長崎でも十数万。然しそれは概括的な事実のみであってその出来事が大きければ大きいだけに、直面すれば何人でも慟哭してもしきれぬであろうこの実感を受けとることは出来ない。当時その渦中にあった私たちでさえこの惨事の全貌を体で知ることは出来なかったし、今ではともすれば回想のかたちでしか思いえぬ時間の距りと社会的環境の変転をもった。
     だがこの回想は嘆きと諦めの色彩を帯びながらも、浮動してゆく生活のあけくれ、残された者たちの肩につみ重ねられてゆく重荷の中で常に新しい涙を加え、血のしたたりを増してゆく性質をもち、また原爆の極度に惨虐な経験による恐怖と、それによって全く改変された戦争の意味するものに対する不安と洞察によって、涸れた涙が、凝りついた血が、ごつごつと肌の裏側につき当るような特殊な底深さをもつものとなっている。
     今年はなくなった人たちの七周忌にあたるため広島の大部分の家庭が、一度に応じきれぬ寺院の都合を思いぼつぼつ早めの法事を営んでいるが、その座に坐る人たちの閉された心の底にどのような疼きが鬱積しつつあるかということを果して誰が知り得るであろうか。それはすでに決して語られることのないことば、決して流されることのない涙となっているゆえに一層深く心の底に埋没しながら、展開する歴史の中で、意識すると否とに拘らずいまや新しいかたちをとりつつあり、此の出来事の意味は人類の善意の上に理性的な激しい拡大性をもって徐々に深大な力を加えつつあるのである。
     私はうす暗い広島療養所の一室でこの稿をまとめた。まとめてみながら此の事に対する詩をつくる者としての六年間の怠慢と、この詩集があまりに貧しく、この出来事の実感を伝えこの事実の実体をすべての人の胸に打ちひろげて歴史の進展における各個人の、民族の、祖国の、人類の、過去から未来への単なる記憶でない意味と重量をもたせることに役立つべくあまりに力よわいことを恥じた。然しそれを感じながらも敢て出版しなければならぬ追いつめられた時代であることを知れば、さらに時間をかけて他日の完璧を期することは許されないと思った。おそらく此の機会を外したならこの詩集は日のめをみることが出来なくなるであろうし、また相当考慮を加えねばならなかったこのかたちのままでさえ読者の手に届け得るかどうかを危ぶまれるのが実状である。
     然しともかくこれは私の、いや広島の私たちから全世界の人々、人々の中にどんな場合にでもひそやかにまばたいている生得の瞳への、人間としてふとしたとき自他への思いやりとしてさしのべられざるを得ぬ優しい手の中へのせい一ぱいの贈り物である。どうか此の心を受取って頂きたい。
     尚つけ加えておきたいことは、私が唯このように平和へのねがいを詩にうたっているというだけの事でいかに人間としての基本的な自由をまで奪われねばならぬごとく時代が逆行しつつあるかということである。私はこのような文学活動によって生活の機会を殆ど無くされている事は勿論、有形無形の圧迫を絶えず加えられており、それはますます増大しつつある状態である。この事は日本の政治的現状が、いかに人民の意志を無視して再び戦争へと曳きずられつつあるかということの何よりの証明にほかならない。
     又私はいっておきたい、こうした私に対する圧迫を推進しつつある人々は全く人間そのものに敵対する行動をとっているものだということを。
     此の詩集はすべての人間を愛する人たちへの贈り物であると共に、そうした人々への警告の書でもある。

      一九五一・六・一
                             峠 三吉

  2. 通りがけ より:

    辞世「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬともとどめ置かましやまと魂」吉田松陰の一番弟子である高杉晋作の自筆の日記を読まずに明治維新を論じるとこうなるという典型的な誤謬認識である。

    西郷隆盛が言ったとされる「龍馬は知る限り最大の大人物」は同時代人の本音。
    おなじく西郷が言った「金も名誉も地位も命もいらぬという人間程始末に負えない者はない。然し大事を成し遂げられるのはそういう人間だけである。」という言葉は明らかに龍馬以外の人物を指している。それが水戸藩に深く共鳴していた高杉晋作を指していることを知るものは殆ど居ない。

    つまり司馬遼太郎もいま登場の司馬史観否定論者たちも双方とも誤謬の井戸に落ちた井の中の蛙である。

  3. 通りがけ より:

    さらに龍馬は日本征服を期すグラバーの手先ではなくグラバーの力を利用して欧米からの侵略を防いで日本独立を成し遂げようとした勝海舟と同じ回天の志士であり、それに気づいたグラバーの手先日本人佐藤に隠れ家を見廻り組に通報され暗殺された、根っからの日本独立の英雄である。もう一人の英雄高杉晋作と肝胆相照らす仲であった。

    このことを知っていたのは勝海舟と西郷隆盛の二人だけであった。

    これが明治維新前夜の幕末回天の志士たちの真実である。

  4. 通りがけ より:

    明治天皇に関しては南朝の末裔田布施の非人大黒某が孝明天皇を暗殺した伊藤博文によって天皇位につけられたというのが歴史の真実である。伊藤はイギリスのスパイであった。ゆえに勝海舟は維新政府に参画せず氷川翁清談で新政府を終生批判し、政府に参画した西郷はイギリススパイ大久保に失脚させられ西南戦争で自刃したのである。勝海舟が心正しい回天の功業者がついに絶えたと哀嘆したのは有名な史実である。

    明治天皇は南朝後醍醐天皇の末裔だけあって明君であった。五箇条のご誓文は見事である。
    また崩御にあたって殉死者を出したのは飛鳥時代以来である。日露戦争に勝利した水師営の会見で乃木大将を通じて敵将ステッセルに示した威厳と仁徳ある詔も見事であった。乃木将軍を日ロ戦後厚く擁護したのも統治者として見事な仁政といえる。日本海海戦に勝利した秋山弟と騎馬術名手秋山兄も明治天皇に心服し崩御後は軍から退役して明治天皇に殉じたのである。

    そして政府要職を欧州スパイだけが奪い合う賤しく悪しき時代が始まったのである。

  5. 通りがけ より:

    参考図書:朝日新書256
    高杉晋作の「革命日記」 
     著者  一坂太郎
     発行  朝日新聞出版

  6. 通りがけ より:

    明治時代前夜の幕末の維新回天についてもう少し補足する。

    維新回天を成し遂げた水戸藩士、吉田松陰高杉晋作、勝海舟坂本龍馬、西郷隆盛の六者に共通することはいずれも上杉鷹山と同じ【君に忠、親に孝】を不惜身命貫き通した覚悟の出来た武士であったという点である。そして彼らすべてが一度は君主によって処罰されていることもそれでもなおかつ臣下として君主に対する忠誠を赤心から捧げたことも共通している。
    この命を惜しまぬ忠と孝の武士道六者が日本の国土防衛に心を一つに合わせたことによって、武器に勝る欧米諸国の日本武力侵攻と植民地化を完全に食い止めることが出来た。これが維新回天の史実である。
    上杉鷹山に匹敵するこの六者の武士道はすべて史料から証明できる。
    しかるにその余の者で新政府の要職に就いた者はみな武士道を捨てて利についた士道不覚悟なる欧米諸国スパイであった。これも次の戊辰戦争の経緯を明らかにすることで証明できる。

    戊辰戦争の真実

    西郷と勝は外国の侵略に備えて国力が減じる内戦を絶対回避する阿吽の呼吸武士道の以心伝心で江戸城を無血開城したが、後に新政府の要職に就く薩長の欧米スパイはすでに必ず内戦を起こすよう指令されており、その内戦に乗じて欧米諸国が特に武力ある強敵として警戒する水戸藩と会津藩を完膚なきまでに錦の御旗で叩くようフリーメーソンから密命を受けていたので、内戦を避けよという西郷の制止を無視して江戸の真ん中で虐殺略奪の戊辰戦争をおっぱじめたのである。

    会津に攻め入って略奪虐殺を働いたのは巷間伝えられる長州兵ではなくじつは戊辰戦争を強行した薩摩藩の大久保と黒田の指揮する忠も孝も無い薩摩兵であった。西郷に叛旗を翻したこのふたりは長州ファイブと同じく武士道無き欧米(イギリス)スパイである。

    長州藩土佐藩にはすでに高杉晋作も坂本龍馬も亡く、残虐欧米に仕込まれた両藩の戊辰戦争での武士道のかけらもない残虐ぶりは会津で欧米スパイ薩摩藩が働いた残虐無道と寸分違わぬものであった。

    この戊辰戦争こそ欧米の死の商人無慈悲無道のフリーメーソンが日本に深く潜入して最初の活動成果を得た「戦争」である。

  7. 通りがけ より:

    鳥羽伏見の戦いまでは勝と西郷の欧米の軍事力を導入する作戦が奏功したのであるが、やはり戦争そのものには欧米死の商人の影響力が帰趨を決する決め手となるため薩長両藩内部に多くの士道不覚悟な獅子身中の虫を抱え込むことになって、戊辰の大乱でそれまで長く士農工商の頂点にあった武士道、やまと魂が、最下賤の商人フリーメーソンの無法無道な私利私欲追求の激しい勢いの前に戊辰戦争で下克上される結果となった。勝と西郷の誤算がそこにある。

  8. 通りがけ より:

    勝と西郷の誤算は武士道という、そもそも武力を以て統治をする者の限界でもある。剣によって立つものは剣によって倒れるという宿命(因果輪廻)悪しき因縁に落ちるからである。

    明治天皇の大東亜戦争も同じである。いかに口先のきれい事で聖戦と称してもその実体はただの虐殺略奪である以上必ず同じ武力で倒れる。

    日本国憲法第9条はその人間界の普遍の真理を悟って軍事力を国際紛争から永久に放棄した人類史上初の空前絶後の憲法なのである。武士道の極致葉隠れ忠孝と剣禅一如の活人剣また剣術奥義無刀取りや兵法奥義無手勝流を伝統的に体得している扶桑の島に住む日本人こそが、9条の魂が希求する世界平和をこの世で地上すべてに実現しうるまさに地球上で最短距離の位置にある。

    これが太古の昔から常に同時代の世界最高の聖賢仁徳な共同社会を実現してきた扶桑の島の伝統の常民日本人なのである。

  9. 通りがけ より:

    参考図書:宮本常一著作集、日本常民研究所関連書籍多数

  10. 通りがけ より:

    前投稿文の結びの一文訂正。

    これが太古の昔から常に同時代世界最高の聖賢仁徳な共同社会を実現してきた扶桑の島の伝統の常民「和を以て貴しとなす」日本人なのである。

    および参考図書追加。

    池田得太郎 「小説維摩詰 ヴィマラキールティの生活と意見」
    木村政昭 「邪馬台国は沖縄だった」(かな?)他多数

  11. 通りがけさんへ より:

    あまりにも偏りすぎています。

    何が真実なんですか?

    今の日本の現状を俯瞰的に考察するとだいたいわかるでしょう・・・。

    まぁ良いですけど。

    なんか難しいこと色々書かれていますが、時代も飛ぶし、今の日本の状況からもまったくもって説得性がない。

    憲法9条が何?だれが作ったんですか?分かっているでしょうに・・・。

    それに、その素晴らしい9条をも野田さん(厳密には違いますが・・)は反故に平気でするんですよ?

    何が日本人の心ですか?

    まったくもって冷静な認識ではありません。

    以上

コメントを残す

post date*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)