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amanomotoyasu 天野 統康 さんの   tweetより

国際決済銀行 : ナチスに協力したセントラル・バンカー

http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/eaa4b5ccf85527d63044a5e4fa156a1b

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◆国際決済銀行:The Bank for International Settlements=BIS

2010/8/30中司達也のブログ報道写真家から(2)より

 

中央銀行家というのは、何か特殊な絆で結ばれているのだろうか。5000万人もが戦死する苛烈極まりない戦争の最中に、枢軸国と連合国の中央銀行首脳がBISの理事会を構成し、アメリカ人総裁以下、敵味方同士の職員は何のわだかまりを持つこともなく、同じ建物の中で業務をこなした。

後の冷戦期も、彼ら中央銀行家の友愛と絆は、国境も立場も主義主張も超えているようだ。

・・・

セントラル・バンカーにとって、それぞれがたまたま所属することになった国家の体制の違いは、彼らの友愛の障壁とはならないようだ。ファシズムであろうが、コミュニズムであろうが、資本主義であろうが、彼らにとって国家や国家体制は、もともと意味のない存在なのかも知れない。

・・・

いまや、中央銀行の「独立性」は世界中の政府の常識であり、グローバル・スタンダードである。それは中央銀行を国家の権力の及ばない聖域にしてしまった。

・・・

世界は今、1931年以来の金融危機の中にある。
この危機に際して、世界の中央銀行はほとんど何の手も打とうとしていない。
実際は、打つ手はいくらでもある。
しかし、世界の中央銀行は歩調を合わせて津波に呑まれる木の葉のフリをしている。

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国際決済銀行 : ナチスに協力したセントラル・バンカー

報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『報道写真家から』 の続編

2010年08月30日 17時54分33秒 | 通貨・金融・経済

http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/eaa4b5ccf85527d63044a5e4fa156a1b

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【引用開始】

「銀行の銀行」は中央銀行と呼ばれる。
さらに「中央銀行の銀行」と呼ばれるものがある。

国際決済銀行:The Bank for International Settlements だ(以下、BIS)。

 

BISは、その名の通り国際決済業務を行なう銀行である。基本的には政府間の決済しか扱わない。BISは政府間の資金の流れを逐一把握している唯一の機関であり、最も透明性を要求される機関である。にもかかわらず、BISは歴史的資料の情報公開を長らく拒んでいた。

 

BISの設立は1930年。
本部はスイスのバーゼル。
設立の目的は、第1次世界大戦の敗戦国であるドイツの戦争賠償金を、円滑に戦勝国に分配することだった。

 

・・・略・・・

◆大戦の真空地帯

・・・略・・・

 

スイスのバーゼルに本部を置く国際決済銀行(BIS)。「中央銀行の銀行」とも呼ばれるこの由緒ある国際機関は、第二次世界大戦中、敵対する連合国と枢軸国のきわめてハイレベルの代表が公然と協力し合う場でもあった。敵味方の立場を越え、緊密な関係にあったのは、各国の通貨・金融政策を担う中央銀行総裁である。もちろん、このことはそれぞれの陣営を代表するドイツのヒトラー総裁、米国のローズヴェルト大統領、そして英国のチャーチル首相も承知のうえであった。

 

前線においてはそれぞれの国の兵士が生死をかけた戦闘を繰り広げているというのに、スイス・バーゼルにあるBISでは、ライヒスバンクのヴァルター・フィンク、イタリア銀行のヴィンツェンツォ・アツォーリーニ、イングランド銀行のモンターギュ・C・ノーマンという各行のトップが敵味方の関係を越え、意思決定の最高機関である理事会のメンバーを努めていた。
 『国際決済銀行の戦争責任』ジャン・トレップ


第2次世界大戦の主役であるアメリカは、BIS理事会には名を連ねていない。しかし、第2次世界大戦の期間中、BISの総裁を務めていたのは、アメリカ人である。

アメリカの銀行家トーマス・H・マキットリクは、1940年1月から46年7月までBIS総裁を務めた。米財務長官ヘンリー・モーゲンソーは、マキットリクの総裁就任に猛反対した。だが、米国務省はマキットリクに渡航許可と外交官パスポートを発給する。

・・・略・・・

BISに着任したマキットリク新総裁をサポートするのは、フランス人の総支配人ロジェー・オボアンとドイツ人の総支配人補佐パウル・ヘヒラーである。

 

この米・仏・独トリオによるBIS運営は、ナチス・ドイツが崩壊した後も継続し、欧州の終戦から八ヵ月が経過した四五年十二月二九日、ヘヒラーが他界するその日まで続いたのである。
『国際決済銀行の戦争責任』

 

また、日本人の吉村侃 (よしむらかん、横浜生金銀行出身)が、BISの為替課長として業務に当たっていた。

 

吉村は真珠湾攻撃に始まる日米開戦後も引き続き、米国人の上司から職務上の指示を受け、これに従っていた唯一の日本人だったと思われる。スイスに駐在する日本および米国の大使は、BIS内での二人の奇妙な協力関係を知りながらこれを黙認していたのである。
i-ii 『国際決済銀行の戦争責任』

 

ヨーロッパ情勢が不安定になると、BISの日本人理事は日銀ロンドン駐在の二見貴知雄からベルリン駐在の山本米治に代わった。さらに山本米治の職務代理としてチューリッヒの北村孝治朗(横浜正金銀行)が任命された。

 

ただし、大戦中はBIS理事会の開催が見合わされていたので、山本や北村が他の理事と直接顔を合わせる機会はなかったようだ。重要事項の裁決は文書で各理事に諮られた。

 

BISは、理事会も執行部も各部門も、連合国と枢軸国の寄り合い所帯で構成され、運営されていた。しかし、彼らは決して反目することなく、粛々と業務を遂行した。BISは、戦時にありながら、対立する空気の流れていない真空地帯だったというしかない。国際連盟が各国の対立の場となり、崩壊したのとは対照的である。

 

◆ナチス・ドイツの金庫番

・・・略・・・

BISは、ごく自然にナチスの決済業務へと移行した。そこには、アメリカを含め世界の金融界の思惑が強く働いていた。彼らは、BISを通じてナチスと良好な関係を維持しておきたかった。

ナチス党が政権を取った33年、社会主義的な金融政策が起草された。もしそれが法制化されれば、外国の民間銀行の対独債権はすべて不良債権と化すはずだった。しかし、BIS理事に就いていたライヒスバンク(ドイツ中央銀行)のヒャルマール・シャハト総裁は、ナチスの試みを阻止し、外国銀行の債権を守った。この海外の対独債権は、大戦中、毎年支払猶予が更新され、それは44年まで続いた。

シャハト総裁は、ナチスの利益よりも、世界の金融界の利益を優先したと言える。BIS理事会での密接な交流がなかったとしたら、シャハトがそのような措置を取ったかどうかはあやしい。後にシャハトは、ヒトラー暗殺未遂に連座して逮捕される。

・・・略・・・

ナチスの決済は主に金で行われたが、実際に金で支払うのではなく、各国中央銀行がBISに開設した口座間で金を移動させる。より正確には、BISの帳場の上で金が移動する。イングランド銀行内のBIS口座の中で金を移動させることもあった。これも、帳簿上の話だ。金そのものは、1ミリも移動しない。このBISの国際決済業務が機能していなかったとしたら、ナチスの戦争はそれほど長続きしなかった可能性が高い。

基本的には帳簿上の金決済だが、相手国の事情に応じて、実際に金塊を移送することもあった。

・・・略・・・

アメリカ人総裁をいただくBISは、まさに「ヒトラーの金庫番」として機能していた。

・・・略・・・

 

◆中央銀行家の友愛精神

BISのナチス協力は驚くべき歴史的事実だが、同時に、敵味方を越えたセントラル・バンカーの不思議な友愛精神と強い絆にも驚かされる。

ヒトラーのナチス党が政権をとった1933年、ライヒスバンク総裁のヒャルマール・シャハトがBISのドイツ理事に就任し(1933-39年)、バーゼルに赴いた。

 

これに対し、イングランド銀行のノーマン総裁はじめ欧州各国の中央銀行総裁は、シャハトを独裁国家ナチス・ドイツの代表というよりも、同じ仕事仲間つまりはギルドを構成するメンバーの一人として迎え入れた。
p18 『国際決済銀行の戦争責任』

 

中央銀行家というのは、何か特殊な絆で結ばれているのだろうか。5000万人もが戦死する苛烈極まりない戦争の最中に、枢軸国と連合国の中央銀行首脳がBISの理事会を構成し、アメリカ人総裁以下、敵味方同士の職員は何のわだかまりを持つこともなく、同じ建物の中で業務をこなした。

後の冷戦期も、彼ら中央銀行家の友愛と絆は、国境も立場も主義主張も超えているようだ。

 

東西の対立が一段と先鋭化する五〇年代において、BISは、東欧諸国の中央銀行代表がソ連の監視の目を逃れ、西側の同僚との自由な意見交換を享受した唯一の国際機関でもあった。
p254 『国際決済銀行の戦争責任』

 

セントラル・バンカーにとって、それぞれがたまたま所属することになった国家の体制の違いは、彼らの友愛の障壁とはならないようだ。ファシズムであろうが、コミュニズムであろうが、資本主義であろうが、彼らにとって国家や国家体制は、もともと意味のない存在なのかも知れない。

 

BISは、各国政府やIMFなどに対して一致して結束する「クラブ」であるとともに、その内部にも重要な対抗関係を秘めた「場」でもあった。
p278 『国際決済銀行の20世紀』

 

彼らが戦後に勝ち取った最大の成果は、BIS解体を免れたことだ。
そして第二に、中央銀行の「独立性」を確立したことだ。

解体の危機を乗り切ったBISは、今度こそ何ものからも干渉されることのない絶対的存在であろうと決意したことは想像に難くない。

そして、いまや、中央銀行の「独立性」は世界中の政府の常識であり、グローバル・スタンダードである。それは中央銀行を国家の権力の及ばない聖域にしてしまった。それは、BISが聖域中の聖域になったということを意味している。

果たしてそれは、未来に対して正しい在り方だと言えるだろうか。
世界は今、1931年以来の金融危機の中にある。
この危機に際して、世界の中央銀行はほとんど何の手も打とうとしていない。
実際は、打つ手はいくらでもある。
しかし、世界の中央銀行は歩調を合わせて、津波に呑まれる木の葉のフリをしている。

【引用終了】

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